王と謁見した翌日から、一部のみという条件下でルースの外出が許された。
中庭や食堂、第一図書館など、限られた場所ではあるものの、大きな進歩だ。
騎士が訪れ、話を聞いていく時間もだいぶ短くなってきており、ルースはほとんどの時間を図書館や中庭で過ごすようになった。

 城の中庭は様々な植物が咲き乱れ、薬を嗜む人間としては実に興味深い。
そして、市民にも開放されている第一図書館は、国営だけあって目を見張る蔵書数を誇る。
どの本を借りようかと物色しているだけでも、随分と楽しい時間を送れた。

 本日も、昼食後より図書館に赴いていたルースは、薬草図鑑や歴史書、魔導書など雑多なものを借りて客室に戻った。
市井の学者も利用する図書館で、最新の薬草図鑑を見つけたルースは珍しくも顔を輝かせた。
家には年代物しかないため、ルースの知らない新たな薬草や効能が記述されている。
早く王都から逃げ出したいと思ってはいるが、帰りにこの図鑑だけは購入して帰ろうかと悩むほどだった。

 図鑑を見ながら、あれこれと試したい薬を考えていた時、部屋の外から声がかかった。
午前中に尋問は終わっていたため、ルースは訝しげに扉に目をやる。
ルースは少し緊張しながら、面会者を中へ通すように声をかけた。
侍女と護衛を伴って入ってきたのは、クリスティーナだった。
そのことに、ルースは他者に気付かれぬよう、無意識に止めていた息を吐く。
彼女の兄でなかったことに、心の底から安堵した。


「僕に何かご用ですか? クリスティーナ様」
「もう、また敬語を使っているわ。前の通りに話してちょうだいって言ってるのに」
「はいはい、お嬢様。いったい僕に何の用?」


 頬を膨らませて、腰に手を当てていたクリスティーナは、笑みを浮かべるとルースの手を取った。
付き人たちが慌てるのも構わず、ぐいぐいとルースの腕を引いて客室を出て行く。


「部屋から出られるようになったって、お兄様から伺ったの。わたくし、この日をずっと待っていたんだから」
「ちょっと、どこ行くつもり」
「今日は天気も良いし、外でお茶会をしましょう!」


 頬を紅潮させて、クリスティーナは興奮気味だ。
何を言っても聞かないだろう雰囲気に、ルースは諦めて好きなようにさせることにした。
彼女に手を引かれてたどり着いたのは、最近よく訪れる中庭だった。

 その中央に、レースのテーブルクロスが敷かれた、見慣れない机が鎮座していた。
テーブルの側には、白く大きな背もたれのついた椅子が二つ置かれ、側に侍女が数名立っている。
さらに近づくと、テーブルの上にはポットやカップ、焼き菓子などが並べられていた。

 それらを何となく見下ろしていると、クリスティーナに背を押されて強制的に席に着かされる。
ルースが言葉を発する間もなく、すぐに目の前の薄い陶器のカップにお茶が注がれた。
向かいの席にクリスティーナが座ると、そちらにも茶が準備される。
満面の笑みを浮かべるクリスティーナに、ルースは肩を竦めた。


「あのさ、一つ教えといてあげるよ」
「何かしら」
「薬師をしている人間は、馴染みの家でもないかぎり、他人が個人へ向けて準備した食物を簡単に口にしないんだよ」


 薬師は薬の素晴らしさと同時に、毒の恐ろしさも知っている。
あの地下室で、自分が食事を口にしたのは、必要とされていると知っていたからだ。
クリスティーナの体調が完全に回復してからは、慎重に確認しながら食べていた。

 思いもかけなかったルースの言葉に、クリスティーナは顔を曇らせる。
薬師の性質を知らなかったと言えばそれまでだが、自分の考えの及ばなさに肩を落とした。
部屋に閉じ込められる苦痛を知っている彼女は、少しでもルースに気晴らしをさせてあげたかったのだ。

 落ち込んでしまったクリスティーナに、周りの侍女が慌てて慰めの言葉をかけた。
そこに、小さく陶器が擦れる音が響き、クリスティーナは顔を上げる。


「まぁ、僕は薬に多少耐性があるから、そこまで気にしないけど」


 驚きに目を見開くクリスティーナの前で、ルースは口元のカップを傾けた。
クリスティーナは思わず、ルースの喉元を凝視する。
ルースはためらいもなく、カップの中身を嚥下した。


「ルース?」
「ススリの香りがする。味もまあまあだし、嫌いじゃないよ」
「……本当に? このお茶は、わたくしが一等好きなお茶なの」


 ルースの言葉に、クリスティーナは安堵したように微笑んだ。
笑顔がこぼれた主人に、周りの侍女もほっと息をつく。
クリスティーナに勧められるまま、ルースは焼き菓子も幾つか口に入れていく。
初めの緊張などなかったように、午後のお茶会は和やかに過ぎていった。






*************






 勧められるままに菓子を食べ、茶を飲んだルースは腹ごなしに図書館に足をのばした。
少々食べすぎだとは思ったのだが、あの翠の瞳に見つめられると弱い。
一時間程図書館で時間を潰した後、少し遠回りをして客室に帰ることにした。

 一般市民も、王宮勤めの文官も利用する図書館は、南地区の管理棟に併設されている。
図書館は城のほぼ中央に位置しており、厳重に警備された北側の出入り口からは、各地区への回廊が続いていた。
その回廊を北に向かって歩いていたルースは、視界の端に煌めくものを認め、そちらに視線を向ける。

 そしてその正体を確認すると同時に、思わず口元を引き攣らせた。
光りを浴び、輝く金糸を風に遊ばせ、王は供もつけずに回廊を進んでいた。
いくら王城内とはいえ、無用心ではないかと考えたが、ルースは思い直して首を振る。
恐らく姿が見えないだけで、付き従う者はいるのだろう。
現在、自分を監視している者達のように。

 ある程度自由に動き回れるようになってから、ルースは自分の背後を影のようについてくる気配に気付いていた。
姿は確認できないが、ルースが客室から離れると、必ず一定距離を保った場所から視線を感じるのだ。
事件の犯行グループと関わりは薄いと認識されつつも、不信な部外者であることに変わりはなく、監視の目が緩むことはなかった。

 今も感じる視線に思わずげんなりとしながら、見るともなしに王を見ていたルースだったが、彼の行き先に検討がつき呆れた表情になる。
王はどうやら東に向かっているようで、その先にあるのは側妃の待つ後宮だ。


(おやまぁ、こんな昼間から、随分とお盛んなことで)


 そうは思うが、この国を継ぐ王族を多く残してもらうと言う点では、実に喜ばしいことでもある。
肩を竦め、歩き出そうとしたルースだったが、足を止めて再び王に視線を向けた。
後宮に向かうのだろうと思っていた王が、回廊を外れ各地区を分ける塀の方へと足を向けたからだ。
興味を引かれ、そのまま黙って見ていると、王は塀の側に立つ樹に近づいていった。
そして、軽々とその枝に跳躍し、枝を足場に塀に飛び移ると塀を飛び越え、あっという間に見えなくなった。

 暫し唖然としていたルースだったが、王が塀の向こうへと消えた辺りまで近づく。
塀を見上げると、その天辺は遥か視界の先にある。
容易に人が行き来できないようにと作られたそれは、人の背丈の3〜4倍はあった。

 顎に手を当て、ルースは考え込む。
見なかったことにして、客室に戻るのが一番都合が良いとは分かっていた。
だが、先ほど見かけた王のことで、少し気になることがあったのだ。

 小さく溜め息をついて、ルースは身体強化の魔術を構成した。
魔術を利用して塀を越えれば、恐らく城の魔力探知に引っかかるだろう。
しかし、現時点で自分にはすでに監視がついているのだから、探知にかかろうがかかるまいが今更のことだ。
どちらにしろ、上に報告されるのなら堂々と力を使用することにする。

 ルースは己の足に力を集め、王がしたように側に立つ樹の中で、大振りな枝に飛び乗った。
そのまま塀に飛び移り、天辺に片手をついてひらりとそれを乗り越えた。






*************






 それほど探し回ることなく、王の居場所はすぐに知れた。
南地区の最東に位置する庭に、一本の大樹が根を下ろしている。
その根元で、王は暢気にも昼寝をしていたのだ。

 気配を殺して近づいたルースは、その顔を呆れた表情で見下ろす。
彼には、危機感というものがないのだろうか。
側にしゃがみ込んでも、王は起きる様子がない。
その代わりに、王と自分についていた影が、一気に緊張を孕んだ。
ピリピリと刺すような殺気に苦笑しながら、王の顔を覗き込み息を吐く。


(ああ、やっぱり)


 近づいてみて、ルースは自分の感が正しかった事を知る。
王の魔力が、僅かばかり乱れていた。
他者には分からないであろう微妙な程度だが、黒である自分は何となく察することができた。


(疲れてるんだろうな)


 木漏れ日の下で眠る王の顔には、色濃い疲労の影が見て取れた。
規則正しく寝息を立てながらも、その眉間には皺が寄っている。
その表情が、地下室で夢に魘されるクリスティーナそっくりで、さすがは兄妹だと笑みを漏らした。

 ルースは顔を動かし、王の瞳によく似た色のピアスに目を向ける。
シルバーの台座に、翠の石がはめ込まれただけのシンプルなピアスだ。
だが、僅かばかりの魔力を感じるそれは、守り石でできていた。
石は淡く光り、健気にも主の乱れた力を整えようとしているようだ。
王の膨大な魔力の足元にも及ばない、ちっぽけな石であるにも関わらず、懸命にその力を放出している。

 守り石を暫らく見つめていたルースは、王の額に軽く手を当て静かに目を伏せる。
慎重に魔力の量を調節し、少しずつ王の体に流していく。
そこまで力が乱れているわけでもないので、少し勢いを殺げばあとは守り石がなんとかするだろう。
注ぐ魔力も本当に僅かなものだから、必死に探ろうとしなければ彼に流れた自分の魔力には、誰も気付かないはずだ。

 ルースは王の額に当てていた手を、今度は脈でも測るように彼の手首に移動させる。
これで、周りの影が王の具合を診ていると勘違いしてくれれば良いが。
手首から王へと流した魔力を回収し、ルースはローブの裾を叩いて立ち上がった。
彼の魔力はだいぶ落ち着きを取り戻し、あとは守り石の力だけで問題ないと判断する。

 踵を返したルースだったが、幼い少女の声に呼ばわれた気がして、訝しげに振り向いた。
だが、そこには王が横たわっており、周りの気配は少女の柔らかなものとは程遠い。
気のせいだったのだろうと片付け、ルースは客室へ戻るために足を進めた。
穏やかな表情へと変わった王の耳で、翠の石が密やかに煌いていた。




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