城のほぼ中央に位置する一室で、ルースは陰鬱な溜め息をついた。
外に面した出窓に腰掛け、王都を見下ろす。
城に連れてこられてからずっと、ルースはそうして過ごしていた。

 宛がわれた部屋は、王族の客室に相応しい一室だった。
高い天井から吊られたシャンデリア、目を見張る質の調度品、床には毛の長い絨毯が敷き詰められている。
大きな窓からは燦々と日が差し込み、今まで居た地下の部屋とは比べるべくもない豪華さだった。

 だが、ルースにとっては、あのかび臭い部屋と大差ない。
この部屋に入ってから、ルースは一歩もここから出ることを許されなかった。
件の事件について話を聞くという名目だが、事実上の監禁生活だ。

 食事を運ぶ人間と、事件の調査に来る騎士達、そしてルースの待遇に憤慨するクリスティーナ以外は部屋を訪れる者もいない。
部屋の前には見張りの兵が立ち、外に出ることは適わず、風呂と排泄以外は常に人の視線を感じる。
警備が厚い分、あの地下室に居るよりもよほど性質が悪かった。


(いっそ、この窓から飛び降りてしまおうか)


 眼下に茂る木々を見つめ、ルースは乾いた笑みを漏らす。
少々無理をして、魔力を身体強化のみに集中させれば、できないことはない。
そして、恐らく城の人間はそんなことを思いつきもしないはずだ。

 色を持つ魔力の豊富な人間は、そのように回りくどいことなどしない。
逃げ出したければ、膨大な力を使用すれば良いのだ。
だが、魔女の末裔である自分は、そうできるほどの魔力を持たない。
だから、途方もない高さにあるこの窓から、ルースが逃げ出すとは考えてもいないだろう。
その隙を突けば、監視の目を掻い潜る事も、あるいは可能かもしれない。

 太陽が沈みきった今ならば、闇に紛れて城を抜け出せる。
しかし、そうなれば取調べの途中で逃走した、怪しい人物との評価がついて回ることになる。
場合によっては、追っ手が差し向けられる可能性だってあるのだ。
それはそれで、面倒くさいことこの上ない。


(こんなことなら、さっさと逃げ出すんだった)


 監禁されていた建物に騎士団が踏み込んできたあの日、本当なら騒ぎに紛れて行方を晦ますつもりだった。
面倒なことが嫌いな自分は、できることなら世界に関わることなく日陰者でありたい。
どうしても助けが必要だったクリスティーナはまだしも、その身内と縁ができるなどごめんだ。

 外の様子を見に行く振りをして出て行こうとしたルースだったが、クリスティーナの思わぬ行動で足止めを食った。
お嬢様である彼女が、あんな殺伐とした雰囲気に慣れているはずもなく、暫らく呆けていて使い物にならないだろうと高をくくっていたのが悪かった。
初めは読みどおり、ぼんやりとしていたクリスティーナだったが、踵を返した途端にローブを掴んで離さなくなった。
上が騒がしくなっていることを知っていたルースは、焦って彼女に離れるように言ったが、クリスティーナは頑として言うことを聞かなかった。
いっそ、無理やり彼女の手を抉じ開けようかとも思ったが、不安に揺れる翠の瞳を目にした瞬間に躊躇してしまったのだ。

 今思えば、それがいけなかったのだろう。
彼女が王族であると分かっていれば、死ぬ気で逃げ出しただろうに。
王族好きの知己の話を、もっとしっかり聞いておくのだったと、今更ながらに後悔した。
再び重い溜め息をついて、ルースは窓ガラスに額をつける。
一点の曇りもなく磨かれた硝子が汚れるだろうが、そんなの知ったことではない。


(とにかく、尋問が終わったら、早々に王都を出よう)


 そして、暫らくは近づかないようにしようと決める。
王都に来れないとなると、珍しいものや、新しい品物は手に入り辛くなるが、己の心の平穏の方が大切だ。

 ルースが決意を改めていると、客室の外が俄かに騒がしくなる。
扉の方に視線をやると、すぐに戸の外側に立つ兵士から、人が訪れたことを知らせる声がかかった。
妙に緊張した声色が気になったが、理由を考えるのも面倒で、ルースは窓に視線を戻しながら答えを返した。

 次いで部屋に入ってきた複数の気配に、訪問者はクリスティーナだろうかとあたりをつける。
王妹殿下である彼女がこの部屋に来る時は、必ず侍女や護衛を伴っていた。
気だるげに振り返ったルースだったが、部屋の中にいた人物を認め、暫しの間息を止めた。

 至上の色を頂く姿は、光りそのもの。
暗闇に呑まれる刻限にあってなお、柔らかな金糸は眩く見えた。
切れ長の目を縁取る睫も同じく金で、その奥には新緑を思わせる翠が覗く。
恐ろしく整った顔立ちのその人物は、王族に疎い自分でさえ知っている。
そもそも、今世に金色を頂くのはただ一人のみ。
フェヴィリウスの国王、ラズフィス・ユディア・フェヴィリウスだけだ。


「そなたが、ルースとやらか」


 低く響いた声に、ルースは我に返る。
直ぐに無表情の仮面を貼り付けると、出窓から立ち上がって礼をした。
頭を下げたまま返事を返さずにいると、王の両隣にいた騎士がピクリと反応する。
気色ばむ彼らに苦笑しながら、王はルースに視線を戻した。


「クリスティーナから、そなたには随分と世話になったと聞いた。兄として礼を言おう」
「まさか国王陛下自らが、こんな下賎の者に礼を言うとは思いませんでした」
「貴様、陛下に向かって無礼な!」


 今度こそ、騎士は剣を抜こうと腰に手をやった。
それを、王は片手を挙げて制する。


「よい、剣から手を離せ」


 騎士はルースを射殺さんばかりに睨みつけながらも、王の指示に従い姿勢を正した。
自分の足元を見つめながら、ルースは内心で溜め息をついた。
切りつけられたなら、自己防衛として逃げ出そうと考えていたのだが、どうやら当てが外れた。
侮辱されれば激昂するだろうと思っていたが、王は案外冷静なようだ。


「そなたが居なければ、妹は生きていなかったかもしれないと言っていた。礼を示すのは当然であろう」
「……別に、放っておいては寝覚めが悪かっただけです」


 さすがに、側で苦しむ人間を放っておけるほど、ルースは冷血な人間ではない。
クリスティーナが王族だと分かっていても、恐らく自分は同じ行動をとっただろう。
ただし、逃げ出すことに迷いはしなかったはずだ。
ルースが自分の失態を思い出し、口元を引き攣らせていると、不意に王が声をかけてきた。


「時に、そなたは薬師であると聞いたが」
「それが、何か?」


 まさか、礼として貴族の得意先でも紹介しようとでもいうのだろうか。
もしそうだとしたら、正直、ありがた迷惑だ。
丁寧にお断りしようと考えていたルースだったが、王の言葉はあまりにも予想外のことだった。


「そなたの縁者に、ユーリという名の女はいないか? 魔女の末裔で、同じく薬を嗜んでいたらしいが」


 自分の肩が一瞬跳ねたのが分かり、ルースは内心で舌打ちをした。
動揺を悟られただろうかと、ゆっくりと顔を上げる。
頭一つ以上高い場所から、翠の瞳がじっと自分を見下ろしていた。
王の顔に、表面上では不信の色は見あたらず、一先ず安堵の息をつく。
ルースは考えるように小首を傾げ、王から視線を逸らした。


「さぁ、聞いたことありませんね」
「では、薬師としての関係者にそのような名の者はいなかったか?」
「あいにく、僕は人の名前を覚えるのが苦手なので。そもそも、ユーリなんて有り触れてる名前、一々覚えていませんよ」
「そうか」


 ふっと息を吐くと、王は目を伏せた。
王の視界から外れたことで、ルースは肩の力を抜く。
こんなに緊張したのは、数十年ぶりかもしれない。
今度は何を問われるかと警戒していたが、王の興味は薄れたのか暇を告げられた。


「夜分にすまなかったな。軍の調査が済むまで開放することはできぬが、それまでゆるりと過ごしてくれ」


 護衛を伴って退出していく後姿が見えなくなると、ルースは大きく息を吐いた。
ふらふらとベッドに近づき、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
視界の先には、染み一つない天井が広がり、それをぼんやりと眺める。
柔らかな布団とマットレスが体を包み込み、早鐘を打っていた心臓が徐々に落ち着いていくのを感じた。

 目を瞑り、先ほどの謁見を思い出す。
初めの動揺以外は、おかしな所はなかったはずだ。
それに、自分は何一つ嘘は言っていない。
まぁ、真実も口にしてはいないけれど。


(あー、もう、本当に。暫らく王都に来るの止そう)


 片腕で額を覆い、ルースは深い溜め息をついた。







*************






「……陛下、ラズフィス陛下」
「あぁ、カーデュレンか、何用だ」


 執務机に向かったままぼんやりとしていたラズフィスは、隣から声をかけられ顔を上げる。
その拍子にペン先からインクがたれ、書類に染みを作った。
書類の端をじわりと染める黒に、ラズフィスは顔を顰める。
自分のせいではあるのだが、これは書き直さなければならないだろう。
溜め息をついて、ラズフィスは書類をわきに寄せた。


「心ここにあらずといったご様子ですが、何かございましたか?」
「いや、少し疲れただけだろう。気にするな」


 軽く眉間を揉んで、椅子に背を預ける。
この所、諸々の案件が立て込んだため、深夜まで執務をこなし、自室に帰って死んだように眠ることが多かった。
そのせいで後宮から苦言がきているが、正直そちらに赴くほどの余裕がない。
側妃達には、後日、ご機嫌伺いの品を送ることにしよう。


「クリスティーナ様の件も一先ず落ち着きましたし、明日の午後はお休みになられてはいかがです?」
「お前が休めなどと、明日は雨が降るに違いない」
「陛下に倒れられでもしたら目も当てられませんので」


 カーデュレンに冗談を返しはしたが、ラズフィスにとってはありがたい提案だった。
あまりの激務に、僅かに魔力が乱れるぐらいには疲れていたのだ。

 明日は何をして過ごそうかと思い描き、ふと先日面会した仮面の薬師のことを思い出した。
その態度にフォルトなどは憤慨していたが、なかなか面白い人物だった。
作り物の笑顔を浮かべて媚を売る者達よりはよほど良い。

 それに、彼の人物を見ていると、なぜかユーリを思い出した。
雰囲気も、声色も、何もかも彼女に似通った所はない。
あえて上げるとするなら、ローブに染み付いた草の匂い、そしてあの夜色の眼差しくらいか。
ただし、ユーリはもう少し穏やかな色をしていた。


(そう言えば、家族の話など、聞いたこともなかった)


 彼女にはたくさんの話をして、逆に多くの話を聞いた。
住んでいる森や、近くの村の話、育てている作物のことなど、様々なことを話していたが、家族の話は終ぞ聞かなかった。
自分は、彼女のことを知った気でいて、本当はなにも知らなかったのだ。
それを、ユーリがいなくなった後に気付いた。


(やはり、疲れているようだな)


 やけに感傷的になっている自分に、ラズフィスは苦笑を漏らす。
小さく首を振って、陰鬱とした感情を振り払う。
そうして気持ちを切り替えると、明日の休暇を確実なものとするため、書類へと向き直った。




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