あっという間に室内は甲冑で埋め尽くされ、彼らはクリスティーナとルースを取り囲んだ。
白亜の甲冑を着けた騎士の内の一人がクリスティーナを確認し、一歩進み出ると冑を取って跪く。
焦げ茶色の髪を後ろに流した彼は、一度深く頭を垂れ、顔を上げてクリスティーナを見つめる。
きつい印象を受ける深緋の瞳が、彼女の無事を確認して和らいだ。
「ご無事でおわしましたか、クリスティーナ様」
「フォルト! 本当にフォルトなの?」
「お迎えにあがるのが遅くなりましたこと、お詫び申し上げます」
見慣れた顔に安堵し、クリスティーナの両目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。
そんなクリスティーナに近づき、フォルトは片腕に彼女を座らせると軽々と抱き上げた。
「おみ足が汚れますゆえ、ご容赦ください」
しゃくりあげ、言葉にならないクリスティーナは、顔を覆って頷いた。
彼女を穏やかな眼差しで見守っていたフォルトだったが、背後を振り返ると厳しい表情でルースを睨み付けた。
彼が右手を上げると、騎士達がルースの周りを囲み、刃を突きつける。
急に室内に走った緊張に、クリスティーナの涙が止まった。
騎士の一人がルースの背後に回り、拘束するのを目にして慌ててフォルトの肩を叩く。
「フォルト、何をしているの。あの人は悪い人ではないわ」
「疑わしい者を放っておくわけには参りません」
「でも、ルースはわたくしを助けてくれたのよ」
「クリスティーナ様に取り入る目的やもしれません」
全く聞く耳を持たないフォルトに、クリスティーナは地団太を踏みたくなる。
彼はとても優秀な騎士だが、堅物で融通が利かないのだ。
そうしている間にも、ルースは背を押されて部屋から連行されようとしていた。
クリスティーナはフォルトの腕からもがいて飛び降りると、腰に手を当てて彼を見上げる。
背筋を伸ばし、息を吸って室内に凛と響く声で呼ばわった。
「フォルト、わたくしの言うことが聞けないのですか?」
フォルトがクリスティーナの前に跪き、室内の騎士全員が彼に習う。
戸口に立つルースだけが、クリスティーナを真っ直ぐ見つめていた。
「クリスティーナ・イオル・フェヴィリウスの名において命じます。わたくしの恩人を無下にすることは許しません」
その名に、国名を持つと言うことは、すなわち王族であることを意味する。
フェヴィリウスに住まう者ならば、誰もが知っている事実だ。
そして、ルースは彼女の名に眉を寄せる。
王族好きの知己に植え付けられた知識から導くと、クリスティーナ王妹殿下は現国王陛下の同母の妹君だったはずだ。
どうりで王直属の証である、白の甲冑を着けた騎士が多い訳だ。
「……承知いたしました」
その白亜の騎士の筆頭であるフォルトは、深く礼を取り、立ち上がって部下に指示を出す。
「その方を城へお連れし、客室へお通ししろ」
ルースを連行していた騎士は、拘束していた縄は解いたものの、そのままルースを部屋から連れ出す。
クリスティーナは非難の意味も込めてフォルトを睨んだ。
「クリスティーナ様のお気持ちは分かりますが、犯罪の場に居た者を、話も聞かずそのまま開放するわけには参りません」
クリスティーナとて、一国の王族としてそれは良く理解している。
犯罪を放置していては、治安が乱れ、国が乱れる。
ただ、心情が追いついていかないのだ。
俯いたまま小さく頷いたクリスティーナに、フォルトは苦笑し彼女を再び抱き上げた。
彼は深く礼を取る騎士達の間を抜け部屋を横切る。
フォルトの肩に手を置き、クリスティーナは後ろを振り返る。
数日間を過ごした部屋が、徐々に小さくなっていく。
あの空間で、自分はたくさんの事を考え、様々な感情を知った。
とても怖い思いをしたりもしたが、あの中で自分は王族ではなく只のクリスだった。
何ともいえない思いが胸にこみ上げ、クリスティーナの視界が滲む。
幾つかの部屋を通り過ぎたが、あらかた処理が済んでいるのか騎士の姿がまばらにあるだけだ。
今まで地下の部屋にせいか、差し込む光りがやけに明るく感じる。
天井についていた小さな窓は、外までの距離が長い分あまり光りを通さなかったのだろう。
フォルトの手によって、建物の入り口が開かれ、風がクリスティーナの赤い髪を撫でて行く。
涙を拭い、前を向くと、久方ぶりに見る太陽の光りが彼女の瞳に突き刺さった。
何度か瞬きをし、風景を写し始めた彼女の視界に移ったのは、自分が愛用している専用の馬車だった。
その前には、クリスティーナ付きの侍女が、目に涙を浮かべて立っている。
クリスティーナにとっての日常が、確かにそこにあった。
(ああ、わたくしは、帰ってきたのだわ)
万感の思いを胸に、クリスティーナは王都を駆けて行く風に目を細めた。
*************
フォルトは後処理を部下に命じ、城へ戻るとそのまま王の執務室へと向かう。
重厚な木目の扉の前にいた近衛兵士達が、フォルトに気付き騎士の礼をとる。
先触れは既に届いていたのか、彼らが中に声をかけると直ぐに入室の許可がでた。
近衛兵士の開けた扉を抜け中に入ると、フォルトは立ち止まって深く頭を垂れる。
「陛下、ただいま戻りました」
「フォルトか。ご苦労であったな」
執務机の前で仕事を片付けていた王は、目を通していた書類を一旦置き、フォルトへ視線を移した。
労いの言葉をかけ、顔を上げさせる。
もう随分と長い付き合いとなるフォルトだが、近衛から第1騎士団副団長となった今でも、生真面目な所は変わらない。
自分が父の後を継ぎ、王となった頃は既に側にいた彼は、古参の人間の部類に入る。
だが、執務室にいる間は、決して馴れ合うような態度は取らなかった。
「クリスティーナ様はいかがされていますか?」
いつの間にか側に来ていた副官が、フォルトに向かって問いかける。
彼はそれこそ産まれて間もない頃からの付き合いだが、真面目さはフォルトと張るだろう。
ただし、かつて自分の教育係を勤めていたこともあるため、フォルトと違って物言いには遠慮がない。
そんな己の副官ではあるが、クリスティーナの一件ではそうとう気を揉んでいたらしかった。
先ほど、フォルトの先触れから彼女の無事を聞き、小さく安堵の息を付いていた。
「は、殿下はさすがにお疲れのご様子で、すぐに湯浴みを為さり、お休みになられたとのこと」
「そうですか、ご無事なようで安堵いたしました」
フォルトも穏やかな笑みを浮かべていたが、真剣な表情となり王へと視線を戻した。
王は片眉を跳ね上げ、フォルトを見やる。
彼がこの様に姿勢を正すからには、何かしらの報告があるのだろう。
「つきましては、陛下にお伝えしたきことがございます」
「良かろう、申してみよ」
まずフォルトが報告したのは、クリスティーナが捕らわれていた組織についてのことだった。
詳しい出所は調査中だが、どこぞの貴族から得たのであろう資金を使い、表向きはサロンのようなものを開いていたようだ。
だが、実際はあの建物の中で、麻薬の売買や、売春などを行っていたらしい。
フォルト達第1騎士団が踏み込んだ際、十数人の男女が保護された。
彼らは強制的にあの場に連れてこられていた被害者で、その殆どが僅かな魔力を持つ魔女の末裔だった。
クリスティーナを発見した部屋に転がされていた無精ひげの男が、あの建物を統括していたようだが、捕まえる人間を指示していたのはもっと上の人間だったらしい。
男はすでに他の仲間と共に牢に入れられているが、恨み言のような事を話すだけでたいした情報は得られなかった。
どうやら、仲介者を介してやり取りしていたようで、上からは捨て駒扱いだったのだろう。
保護した被害者達は何度か薬を使わされたため、軽い依存症となっていたが国の救護施設で適切な治療を受ければ、元の生活に戻ることも可能だ。
「以上にございます」
「また、魔女の末裔がらみの事件ということですか」
副官は顎に手を置き、考え込むように目を伏せた。
王も肘置きに頬杖をつき、溜め息をつく。
この数年、王都近辺で魔女の末裔に関する問題がぱらぱらと浮上していた。
今回のように誘拐や監禁ということもあれば、物言わぬ遺体となって発見されることもある。
そして、極めつけが魔女の末裔のみがかかる奇病だった。
元々、西部では数名の患者が確認されていたようだが、十数年前頃から少しずつ患者が増え始め、広く認識された病である。
その病は、発病して間もないころは自覚的症状もなく、健常者となんら変わりはない。
患者が自覚症状として頭痛を訴え出すのと同時期、徐々に魔力が増大し始め、やがてそれは本人の許容量を超えてしまう。
死神の影が見え隠れする頃には、患者は人形のように意思のない、生ける屍となる果てるのだ。
己が制御できぬ魔力は、徐々に人を狂わせ、体調を蝕み、やがて死に至らしめる。
増えたとは言え、まだこの病はそれほど症例は多くない。
しかし、その不気味な病を、王都では魔女の呪いと呼び恐れていた。
事件にしろ、病にしろ、調べを進めてはいるが、目ぼしい成果が得られないのが現状だ。
苦々しい思いに、王は顔を顰めた。
「引き続き、調査に全力をあげよ」
「「畏まりました」」
王の言葉に、フォルトだけでなく、副官も深く頭を垂れた。
「時にフォルト、今回の被害者のリストはあるだろうか」
顔を上げた副官が自分を一瞥するのを感じながら、王はフォルトに訊ねる。
通常、そこまで大きな事件でもない限り、国王である彼が被害者の名まで確認することはない。
細々したものまで王に報告していては、他の仕事に差し支えてしまうため、王が目を通す必要のあるものを副官が振り分けているのだ。
しかし、魔女の末裔に関する資料だけは、毎回のように王自身が欲する。
それを心得ているフォルトは、すでに部下に命じ、リストの作成に取り掛からせていた。
「現在、作成させているところにございます。暫しお待ち下さい」
「構わぬ、出来あがったら余に知らせよ」
「は、畏まりました」
踵を返し部屋を出て行くフォルトの背を見送った後、副官は小さく息を吐いた。
そして、同じように扉を見ていた王に視線をやる。
「ラズフィス陛下」
「分かっているのだ、もう諦めなければならないことは」
今世のフェヴィリウス王、ラズフィスは椅子の背に体を預け、深く息を吐いた。
毎回、彼は作成された被害者の情報の中に、ただ一人の名前を探す。
そうして、名が見当たらないことに安堵し、同時に落胆するのだ。
諦めて、忘れてしまおうかと考えたことは何度もある。
二十年前のあの嵐の翌日、ラズフィスは無理を言って、カーデュレンに現場に連れて行ってもらった。
そして、現場の惨状に愕然としたのだ。
何らかの力を持った人間なら、あるいは助かることも可能だったかもしれない。
しかし、普通の人間となんら変わらない程度の、魔女の末裔である彼女が巻き込まれたのだとしたら、一溜まりもなかっただろう。
カーデュレンが、早々に彼女の生存を諦めてしまった理由が、ラズフィスにも分かってしまった。
だが、被害者の女性が見つからないことに、ラズフィスは一縷の望みを持っていたかった。
もしかしたら、彼女はどこかに流れ着き、一命を取り留めて、今は穏やかな生活を送っているかもしれない。
そんなラズフィスを、彼の冷静な部分があざ笑う。
あの状況で、彼女が生きているはずがない、馬鹿げた望みだと。
分かっていて、それでも諦めきれないのだ。
本当に、どうしようもない。
ラズフィスは己の愚かさに苦笑し、静かに目を伏せた。