合同際が近づくにつれ、街だけでなく、王城内も活気付いてきているようだった。
そんなある日、ユーリ達臨時雇用者が南門前の広場に集められた。
祭り当日の勤務について、なにやら発表があるらしい。
近くにいる者同士で色々と憶測を話していると、下働きのまとめ役である女官が高らかに手を打ち鳴らした。


「今から合同際の日程や、注意しておかなければならないことについて説明します。心して聞きなさい」


 まずは、合同際の大まかな流れについて説明を受ける。
半日休暇が与えられるため、臨時雇用者も祭りに参加できるのだそうだ。
自分達は幾つかの班に別れ、数字で識別されており、今回の休暇もその班毎に分けられているらしかった。
ユーリの班は前半、つまり午前の内が休暇となる。
昼の鐘が鳴る頃に城へ戻り、残りの半数と交代するのだそうだ。

 午後の方が絶対に賑わうのに、と同じ班の少女達は文句を言っていたが、ユーリとしては逆にありがたい。
朝早いうちに出かけて、薬草の種や野菜の苗を買い、人が増えてくる前に城に戻れるのが理想的だ。

 流通の中心である王都には、きっと珍しい種類の薬草や作物がたくさんあるだろう。
いま手持ちの現金はないが、持ってきた薬がまだ残っている。
ついでに、王都に出てきた本来の目的も果たせれば一石二鳥だ。

 しかし、薬草の種ともなると、なかにはとんでもなく値が張るものもある。
薬を売った金で足りるだろうかと悩んでいると、城での給金を希望により一部前借りできるらしい。
そうなれば、購入できる物の幅もだいぶ増えるだろう。

 行きたい店、欲しいものなど、頭の中でリストアップする。
自然とにやけてくる顔を、ユーリは意識して引き締める。
久しぶりの買い物に、自分も存外浮かれているようだった。

 最後にスリに注意すること、門限の厳守について説明される。
賭博に手を出すなどの問題を起こさなければ、酒を飲むなどの行為は許されており、比較的規則は緩めのようだ。


「皆、節度ある態度で祭りに参加するように。以上、解散なさい」


 号令とともに戻るよう促され、それぞれ持ち場へと帰っていく。
ユーリ達も朝の日干しに遅れないよう、通いなれた洗濯場へ急いだ。




*************




 浮かれる城内や自分とは逆に、久しぶりに会った王子殿下はどことなく気落ちしているように見えた。
話をしていても上の空で、時折遠くを眺めては物思いに耽っているようだ。
もともと、ユーリは話をするより聞く方が多かったため、自然と沈黙が増える。
とうとう黙り込んでしまったラズフィスは、枝から投げ出されている己の足先をじっと見つめていた。
さて、どうしたものかと考え込んでいると、彼は小さく息を吐いた。


「ユーリ、余は本当に王の子なのだろうか」


 彼の独白のような言葉に、ユーリは目を瞬く。
あまりにも答えが明白であるはずのことに、ラズフィスは思い悩んでいるようだった。

 精霊の愛し子である、黄金を頂く者。
彼らは、王族の血筋からのみ誕生する。

 ユーリは滅多に王都に出てくることはないため、今世陛下を拝見したことはない。
だが、やけに王族に詳しい知己に言わせると、第一王子は母である王妃よりも父である国王に良く似た面差しをしているらしかった。


「なぜ、そのように思われるのです?」
「……見よ」


 一言呟くと、ラズフィスは力を発動させるように、魔力を構成していく。
彼の金糸が風もなくふわりと浮き、額が淡く発光した。
だが、それ以上の変化が訪れることはなく、徐々に光は薄れていった。
ラズフィスは前に翳していた両手を握り締め、己の膝の上に置く。


「余は金の色を持ちながら、魔力を持たぬ落ちこぼれなのだ」


 祈るように背を折り、拳に額をつけて、彼ははらはらと涙を零した。


「ある者は、余を色だけの飾り物と呼んだ。魔力を持たぬ余は、本当は父上の子ではないのではと言う者もいる」
「殿下……」
「だが、もっとも許せなかったのは、母上を侮辱されたことだ。余が出来損ないであるのは、母が魔女の末裔であるせいだと言う! 母上はあの者達よりよほどすばらしい力をお持ちなのに、余のせいで恥を受けねばならぬのだ! ……余は悔しい」


 ラズフィスの悲鳴とも思えるような叫びに、ユーリは絶句した。
ユーリは、彼がどれだけ努力し、学ぼうとしているかを知っていた。
彼はたくさんの本を読み、教師からの指導を事細かに記録しているようだった。

 魔術、歴史、政治とそれは多岐に渡った。
また、武術も学んでいるようで、彼の小さな手はあちこちにまめができていることを知っている。
そんな風に必死になっている少年へと向けられるには、あまりにも酷な言葉だった。

 それに加え、自分のせいで大切な人に悪意を向けられるのだ。
幼い少年にとって、どれほどの苦痛だっただろう。
彼が耐えてきた月日を思い、ユーリは静かに目を閉じた。

 大樹の上での一時が終われば、彼は後宮へと帰り、ユーリは南地区へ戻る。
お互いの空間が交わることはなく、彼女は彼の姿を垣間見ることすら叶わない。
どれだけラズフィスが苦しんでいようとも、泣いていようとも、声をかけることもできない。
それほどに、彼と自分は様々な点で違いすぎる。

 だが、そんな自分にも、一つだけ彼にしてやれることがある。
ラズフィスがただの少年であったなら、ユーリは迷わず手を差し伸べただろう。
しかし、彼は王の子なのだ。

 彼の運命を変えるということは、すなわち、この国の未来を変えること。
己の行為によって、歴史が動く可能性が十分に在り得るのだ。
それは、平穏を望む彼女にとって、何よりも忌避すべきことの一つだった。


(でも……もし、彼が、本当に変化を望むのならば、)


 胸のうちに、迷いは残るけれど。


(ただ一度だけ、手を貸してみようか)


 できることなら、悲しむよりも、笑っていて欲しい。
それが、縁ある者であるなら、尚更のこと。

 浮かんだ思いに、彼女はこっそりと苦笑した。
己で思っていたよりも、自分は彼に絆されていたようだ。
ゆっくりと瞼を開け、ユーリはラズフィスへと声をかけた。


「殿下は素晴らしいほどの魔力をお持ちです。そして、それを王妃陛下は確信しておられるはず」
「……魔術の教師にも、首を振られているのに、か?」
「はい、間違いございません。王妃陛下が《魔女の末裔》であればこそ」


 魔女の末裔とは、すなわち黒でありながら魔力を有する者の総称である。
本来、色によって属性が分かれる魔力だが、黒の者が魔力を得るとき、その力は属性を持たない。
全ての属性を司る光と、何ものにも属さぬ常闇は、本来ならば相容れることのない対極の魔力。


「真逆の存在であるがゆえに、分かることもあります」
「母上に聞いたわけでもないのに、なぜそのような事が言えるのだ。母も、本当は余に失望しているかもしれない」


 頭を振るユーリに、ラズフィスは訝しげな視線を向ける。
予想もしていなかったであろう彼女の言葉に、涙で濡れた新緑が驚きに見開かれるまで数秒もかからなかった。


「いいえ、(わたくし)には分かるのです。なぜなら、私もまた、魔女の末裔だからです」


 どこか遠くで、ユーリは歯車の回る音を聞いた気がした。






*************





 かつて、膨大な魔力を持ち、常闇の魔女と呼ばれた女がいた。
彼女は歴史の中に突如現れ、人々を大いに驚かせた。
なぜならば、彼女は黒であった。

 本来、魔力を宿さないはずの色を持ちながら、魔女は数々の逸話を残している。
彼女は一瞬で千里を駆け、魔を滅ぼし、その怒りは野を焼いたという。
しかし、一方で救いを求める者には手を差し伸べ、その慈しみは大地に実りを育んだ。

 古来より、魔術とは己の魔力と、精霊の加護があって初めて使用できるものであった。
だが、彼女は精霊と交信することなく、己の魔力のみで力を振るった。
異端であり、未知なる力を持つ魔女を、人々は恐れた。

 やがて、彼の魔女は終の棲家を、現在のフェヴィリウスの果てにあったとされる、緑豊かな森に定めた。
そこに、容易には人が近づけぬ結界をはり、瞬く間に見上げるほどの塔を建てた。
塔に訪れる者の願いを気まぐれに叶え、そうして幾百年かの時が過ぎた頃、魔女の姿を見かける者はいなくなった。
人々は、彼女が死んだのだろうと噂し、彼の魔女の記憶は少しずつ薄れていった。

 それから暫らくして後、魔女の森の周囲を起点に不思議なことが起こり始めた。
時折、黒でありながら、僅かに魔力を持った子供が産まれるようになったのだ。
魔女のように強大な力を持つものは終ぞ産まれなかったが、彼女と同じようにどの属性にも当てはまらない異端の力を持っていた。
その力と彼の女を敬畏し、人々は彼らを《魔女の末裔》と呼んだ。




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