「ユーリが……魔女の末裔?」


 ラズフィスは丸くした目を瞬いて、唖然と呟いた。


「母上以外の末裔は始めて見た」
「恐れ入ります」


 瞼を閉じた拍子に、眦から涙が零れ落ちた事すら頭にないようだった。
暫らくそうしてユーリを眺めていたが、時期に気まずげに視線を逸らす。


「だが、その……、余が言うのもおかしいかも知れぬが、ユーリからは魔力を感じぬ」
「魔女の末裔は精霊の加護なきゆえ、わずかな魔力しか持っておりません」
「何を言う。母上は魔女の末裔だが、大臣どもに負けぬくらいの力をお持ちだ」
「はい、つまりは王妃陛下が、末裔としては珍しいほどの魔力を持っておられると言うことです」


 代々、フェヴィリウスの王位は直系の血筋の中から、最も魔力があるものが継ぐ。
そのため、王の妃は側妃であれ、正妃であれ、魔力持ちが選ばれる。
今代の王妃は傍系である、セルゼオンの公爵令嬢で、現国王の従妹に当たるそうだ。
幼い頃から供に居ることの多かった王は、ぜひ彼女を妃にと望み傍にあがることとなった。

 当時、その婚姻に周りからは多くの反対意見がだされた。
なぜならば、彼の令嬢が黒であったから。
黒が妃となった前例はなく、フェヴィリウスの王妃に相応しくないとされた。
反対意見を押しのけても、王が彼女を正妃にできたのは、王妃が黒としては異例なほどの魔力を持っていたからだった。
それは、強い魔力をもって産まれる、王族の血ゆえの奇跡と言われている。


「本来、我々の持つ魔力はごく微量であるため、己すらも気づかぬ者も多うございます」


 そんなあるかなしかの魔力でありながら、ユーリがラズフィスの魔力に気づくことができたのは、偏に双方の魔力の相違によるものだ。
金は全ての属性を扱えるため、他属性の魔力と反発することは滅多にない。
だが、黒の魔力だけは別なのだ。
異端であるため、どの魔力とも一線を画する黒は、基本的に他属性とは相容れない。

 先ほど、ラズフィスが魔力を構成した際、彼と接触していた右腕に微量な電気が流れるような感覚を受けた。
ついで、周りを飲み込む勢いで膨大な魔力が放たれる。
それが不安定に歪むと、瞬く間に彼の内へと戻り、霧散したのだ。
他の属性であれば気づく間もないであろう、本当に一瞬の出来事だった。

 その時感じた、幼い子供が持つには、あまりに危険なほど強大な魔力。
暴発すれば、周りを巻き込んだ惨事になりかねない。
下手をしたら、彼自身の命すら危ういだろう。

 コントロールできない魔力は、時に凶器に変わる。
彼は無意識にそれを感じ、魔術の発動を抑制している印象を受けた。

 抑制された魔力は、彼の身の内に留まり、捌け口を探すように荒れ狂い乱れる。
そのため、力に不安定さをうみ、魔力がますます膨張し、調節することが難しくなる。
まさに悪循環であり、膨れ上がった魔力は、いわば決壊寸前の堤防だった。

 自分でコントロールが難しいのであれば、強制的に外から対処するしかない。
しかし、それは彼が金を持つがゆえに難しい問題だった。
他の属性であったなら、彼に魔力を流しても、その力は単に飲み込まれるだけに終わる。

 流される魔力が黒である場合、力が混じり合うことはまずない。
だが、破裂寸前の所に反発した力を流すのだから、微妙な加減が必要となってくる。
彼の母である王妃ほどの魔力を持っていると、それは非常に難しいはずだ。
さらに、王妃は鍛練をつんだ魔導師ではないのだから、繊細な魔力の構成は専門外だろう。

 息子を救う力がありながら、目の前で苦しむ姿を見守るしかできない。
それは、どれほどの苦痛であったろうか。

 逆に、ユーリのように、もともと僅かな魔力しか持たない場合は話が早い。
繊細な調節もいらず、ただ彼に魔力を流せば良いのだ。
その力は彼の魔力に飲み込まれず、荒れた力を相殺しながら、やがて彼女の元に戻るだろう。

 歪みが整えられた魔力は、その分だけ制御がしやすくなる。
あれだけ熱心に学んでいるラズフィスならば、すぐに己の力をコントロールできるようになるだろう。
それでも、彼のような強大な魔力、しかも暴発寸前の力を刺激するのは、大きな賭けだ。

 ユーリの緊張を感じたのか、彼は驚きに呆けていた顔を引き締め、彼女に向き直った。
まるで物を習う生徒のような態度に、ユーリは僅かに笑みを浮かべる。
しかし、一つ息をついて気を沈め、自分もラズフィスに向き合うようにして座りなおした。


「力は貧弱なものではございますが、だからこそ、殿下にして差し上げられることがあります」
「余のためにできること?」
「はい、しかし、良くお考えください。それをすれば、殿下の生は変わるでしょう。得ずとも良い苦労を強いられ、多くのことに悩まされるやも知れません。あるいは、後悔なされることもあるでしょう」
「……あぁ」
「それでも、なお、殿下が望まれるのであれば、(わたくし)は殿下が魔力を得るための、手助けをいたしましょう」


 ラズフィスには同母の第3王女殿下や、異母姉がいるが、黄金を宿す彼は桁違いの魔力を有する。
彼が魔力を得れば、間違いなく王となるだろう。
人の数倍の苦労があり、悩みがあり、唯人であれば煩わされることのない、厄介なものに向き合わねばならない。
それを背負って生きていく覚悟を、年端の行かない少年にさせるのは酷であると承知している。

 だが、これは国の未来をも巻き込んだ賭けだ。
半端な気持ちで、実行することはできない。
ユーリは、真っ直ぐにラズフィスを見つめた。


「余は……」


 擦れた声で、彼は呟く。
新緑が伏せられ、影となり、やがて見えなくなった。
ラズフィスは胸の前で拳を握り、強く握り締める。
口は固く結ばれ、頬に力が入っているのが分かる。
彼は事の意味をきちんと理解し、様々なことを考え込んでいるようだった。
やがて開かれた眼に迷いや、翳りは見当たらなかった。


(あぁ、とうとう、彼は決めてしまったのだ)


 その眼差しを、彼女は少しだけ切なく思う。


「ユーリ、余に力を貸して欲しい。頼む」


 今度は、ユーリが目を瞑る。
彼は、自分で道を選んだ。
次は己が覚悟を決める番だった。
自分が、歴史に関わるという覚悟。

 暫しの沈黙は、数秒であったかもしれないし、もっと長いものであったかもしれない。
彼女は瞼を開き、目の前の少年を見つめ、頭を垂れた。


(わたくし)で良ければ力となりましょう、ラズフィス殿下」


 未来の王となるものよ、と心の内だけで囁く。
彼は、ほんの少しの苦味を混ぜた顔で、だが安堵したような笑みを浮かべた。




*************





「それで、余はどうすれば良いのだ」
(わたくし)が魔力を整える手伝いをいたします。殿下はご自分の力を制御するよう、御心掛けください」
「分かった」
「では、僭越ではございますが、お手に触れても宜しいでしょうか」


 ラズフィスが頷いたのを確認して、ユーリは彼の右手を取った。
ところどころ硬くなっている掌は、小さくとも武術を学ぶ者の手だ。
その手を両手で握り、彼女はラズフィスを見やる。


「今より、(わたくし)の魔力を殿下へお流し致します。始め、少々痛みを伴うやもしれませんが、ご容赦ください」


 ひとこと言い置き、ユーリは目を瞑る。
集中して、少しずつ彼の右手から魔力を流す。
魔力が彼の中へと入る瞬間、電気が弾けるような音と、指先に小さな痛みを感じた。
ラズフィスの指が一瞬ピクリと反応したが、彼女の手の中からそれが引き抜かれることはなかった。

 ゆっくりと、彼の全身を巡らせるイメージで力を構成する。
最初の様な痛みはないものの、時折魔力がぶつかり、爆ぜる様な音を立てた。

 ラズフィスは懸命に魔力を追い、制御しようとしているらしく、目を閉じて眉間に皺を寄せている。
その額には、じんわりと汗が浮かんでいた。

 それなりに時間をかけ、荒れる力を殺し、ユーリはようやく自分の魔力が手元に戻ってくるのを感じた。
最後に、彼の魔力が凪いでいるのを確認すると、彼女は静かに瞼を開く。
暗闇に慣れた目が、急激に飛び込んできた光に対応できず、反射的に目を細めた。
知らず知らず詰めていた息を吐き出して、彼女は握っていた小さな手を離す。


「いかがですか、殿下。ご気分の優れぬことはございませんか?」
「いや。むしろ、今までにないほど落ち着いている」


 膨大な魔力をコントロールするのに気力を注いだせいか、若干疲れたような表情を見せながらも、ラズフィスはユーリの問いに首を振った。
彼は感覚を確かめるように、両手を開閉させたり、自分の魔力を探るように瞼を閉じて集中したりしている。


「では、試しに魔術を使ってみてはいかがでしょう。始めは、殿下の第2属性である、風の魔術が扱いやすいかと存じます」
「そうだな、やってみる」


 一度息を吐いて、ラズフィスは構成を組んでいく。
どうやら、初歩魔法である風を吹かせる魔術のようだ。
黙って様子を眺めていたユーリだったが、彼が術を発動させるために込めた魔力量を感じて、慌てて声を上げる。


「ちょ……、どんだけ魔力込める気ですか!」
「え?」


 だが静止には一歩遅く、ラズフィスが目を開けた瞬間、その場に強風が吹き荒れた。
大樹の枝が音を立ててしなり、葉や小枝が風に耐え切れず舞う。
周りの木々で羽を休めていた野鳥達が、驚いて一斉に飛び去っていく。
慌てて彼が魔術を終了させると、辺りは恐ろしいほどの静寂に包まれた。


「……殿下」
「……今まで、3倍以上の力を込めても、そよ風すら吹かせられなかったのだ」
「3倍って……。王城を破壊するおつもりですか」


 暫しの無言の後、どちらからともなく噴き出した。
一頻り笑い、それぞれ己の身を叩いて、葉や枝を木の下へ落とす。
庭師や掃除担当の人間が悲鳴を上げそうだが、城が壊れるよりはましだろう。


「次はお気をつけ下さい」
「そうだな、努力しよう」


 顔を上げたラズフィスは、今まで見たどの顔とも違う、穏やかな笑みを浮かべていた。


「ユーリ。余は……、私は、父上と母上の子だと、胸を張って良いのだな」
「自信をお持ちください、殿下」


 噛み締めるようにゆっくり頷き、彼は城下を見下ろす。
晴れ渡った、染み入るような青い空を、一羽の鳥が羽ばたいていった。




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