「痛っ!」
ペッと勢い良く吐き出され、陽菜子は床に尻餅をつく。
腰を擦りながら目を開くと、薄く透けた自分の膝が目に入る。
慌てて辺りを見渡してみれば、薄暗く雑多に物が陳列された室内だった。
「お帰り、ひなちゃん、祥くん」
背後からかけられた声に振り返ると、本に栞を挟んだ店長が椅子から立ち上がった。
店長が近付き手を差し出すと、猫の鞄が飛び跳ねるようにして納まる。
絵本の外に出ているにも関わらず、生き物のように動く鞄を凝視し、陽菜子は店長に問いかけた。
「店長、その鞄って……」
「うん、可愛いでしょう? 僕が作ったんだ」
にこりと微笑みながら、店長は陽菜子の目の前に鞄を突き出す。
どちらかと言えば、ぶさ可愛いという部類に入るだろう猫は、チェシャ猫のようににやりと笑っている。
その口にぱくりと飲み込まれたことを思い出し、陽菜子は顔を引き攣らせた。
店長は鞄を斜め掛けして、小首を傾げる。
「ところでひなちゃん、例のモノは手に入ったのかな?」
「あ、それなんですけど……」
鞄も気になるが、雫のことはもっと気になる。
一先ず不思議な鞄のことは忘れることにして、陽菜子は話すことに集中する。
絵本の中であった事を掻い摘んで説明し、最後に白樹の枝を店長に見せた。
「神代くんも、間違いないと言っていたし、そのまま戻ってきちゃったんですけど」
「うん、大丈夫。これが白樹の雫だね」
「でも、これ、どこをどう見ても鉱石には見えないんですが……」
納得のいっていない陽菜子を笑いながら眺めていた店長は、やがてすいと手を伸ばし、枝に生る実を示した。
「そんなに心配なら、これを剥いてごらん」
示された実を見てみると、殻だと思っていた表面は意外と柔らかそうで、どちらかと言えば皮に近い。
そっと根元から楕円形の実を外し、陽菜子はゆっくりと皮を剥いていく。
最後に、中から転がり出たモノを目にして、陽菜子は目を丸めた。
「これって……」
「そう、それが白樹の雫だよ」
薄らと白く色が付いているものの、水晶のような鉱石は水滴のような形をしていた。
光を受けてきらきらと輝く姿は、あの白樹を思い出させる。
「あの白樹ってね、実は柊の樹なんだ」
「え? でも、柊って、葉っぱは棘だらけだし、そんなに大きくはならないですよね?」
柊と言えば、一番に思い出されるのがクリスマスの輪飾りだろう。
だが、この枝についている葉はどちらかと言えば丸っこい。
それに、柊の木は大きくなっても7〜8メートル程度のはずだ。
「うん、この世界の柊はね」
訝しげに店長をみやると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「まぁ、葉が丸いっていうのはこっちでもあるけど……」
店長は立ち上がると、図鑑を一冊抱えて戻ってくる。
図鑑の中ほどのページを捲り、彼はそれを陽菜子の前に置いた。
「樹も年をとると丸くなるんだよ。ほら、見てごらん」
柊の説明の横に載せられた写真に、陽菜子は目を見開く。
確かに、複数載せられている写真の中には、棘がなくなり丸くなった葉が映っている。
それは、自分が持ち帰ってきた枝についているものに良く似ている。
興味深く写真を眺めていた陽菜子は、ある一枚の写真に目を止め、思わず声を上げた。
「あ!」
それは、柊の花の写真だった。
棘だらけの葉に似合わず、小さく真っ白な花が房のように連なって咲いている。
可愛らしいその花は、あの時聞こえてきた優しげな声に重なった。
「柊の花言葉は、あなたを守る」
弾かれたように顔を上げた陽菜子に、店長は笑みを返す。
「きっと、ひなちゃんの事を守ってくれるよ」
不意に、葉擦れの音と、軽やかに笑う白樹達の笑い声が聞こえた気がした。
じわりと視界が滲み、陽菜子は慌てて目を擦る。
唇を噛み締めて頷くと、店長は小さく笑ったようだった。
(私が元に戻ったら、店長にお願いして、またあそこに行こう)
そうして、たくさん、たくさん、お礼をしよう。
きっと、白樹は温かく迎えてくれるはずだ。
嬉しくても涙が出るなんて、今まで知らなかった。
今日はたった一日の間で、何年か分の涙を流している気がする。
瞬きをした瞬間、陽菜子の目尻からぽろりと透明な雫が零れた。