狭い場所を暫らく道なりに歩いた頃、先の方から徐々に明るい光が差し込んできた。
足を進めるにつれ、光りの強さも強くなってくる。
もしかしたら、この先にあるのは、地上への出口なのかもしれない。

つい先程この絵本の中に吸い込まれたばかりだと言うのに、もう随分と太陽を見ていない気がする。
幻想的な洞窟の中もとても綺麗だが、やはり陽の光りは恋しいものだ。
心持ち足取りも軽くなり、陽菜子は表情を和らげた。

開けた場所に出た途端、あまりに眩い光りが視界に入り込み、陽菜子は目を細める。
額に手を翳して、できるだけ刺激を遮った。
ようやく光りに慣れてきた視界に映った光景に、陽菜子は思わず声を失う。

洞窟内にぽっかりと開いたその空間は、一面が白に覆われている。
今まで硬い岩ばかりだったのに、足裏に伝わるのは柔らかい砂の感触。
足元に目をやれば、細かく白い砂が輝き、まるで砂浜のようだ。

顔を上げると、対岸がようやく見えるかという大きさの湖が広がっている。
不思議なことに、洞窟内の湖であるはずの水面が、静かに波打っていた。
穏やかに波が寄せては引いていき、陽菜子のつま先を濡らしていく。
打ち寄せる水の色までもが、淡く、白く色づいていた。

その湖の中央に根を張るようにして、一本の大樹が枝を広げている。
やはりと言うべきか、太い幹も、生い茂る葉も、水の色を吸い上げたように白一色に染められていた。
風もないのに白樹の枝が、さわさわと揺れている。
優しげな葉擦れの音が聞こえてくるようで、陽菜子は思わず耳を澄ました。


「……っうわ!」


ぼんやりとしていたところに、突然肩を叩かれ、陽菜子は驚いて声を上げる。
ばくばくと音を立てる胸に手を当てたまま、勢い良く後ろを振り返った。
そんな陽菜子を無言で見下ろしていた祥は、すいと腕を上げ白樹を指差す。


「後は、あの木の側まで行けば、目的の物が手に入る」
「あ、うん」


跳ねる心臓を落ち着かせるために深呼吸をしてから、陽菜子は一歩足を踏み出す。
そこで、祥がついてきていない事に気付き、慌てて声をかける。


「あれ、神代くんは?」
「俺は行かない。あそこまでは、藤森が一人で行くんだ」
「えぇ、そんなぁ……」


どこか現実離れした光景に、どうしても尻込みしてしまう。
思わず陽菜子が情けない声を出すと、彼は僅かに表情を和らげた。


「大丈夫だ。あれは、人に害を加えるようなモノじゃない」
「うぅ……。本当に?」
「もし何かあれば、すぐに行くから」


祥の言葉に励まされ、陽菜子は白樹に向かって少しずつ歩き出した。
水は陽菜子の足首を濡らす程度で、それ以上水深が深くなることはない。
だが、どうやらそれは陽菜子の足下に、ガラス板のような境界があるかららしい。
その境界の下では、水嵩もそれなりにあるようで、悠々と魚が泳ぐ姿が見える。
鱗が光りで煌き、まるで水族館の水槽を上から覗いているようだ。

幻想的な光景に目を奪われている間にも、自然と足は白樹の元に向かっていたらしい。
ふと顔を上げると、洞窟の天井に沿って手を伸ばすようにして、大樹が葉を茂らせている。
上を見上げたまま、陽菜子が根元に近付いた時、くすくすと笑い声が聞こえた。


『アラ、人ヨ、人ノ子ヨ』
『本当ネ、珍シイ』
『ドウヤッテ此処マデ来タノカシラ?』
『迷子カシラ?』


突然聞こえた声に、陽菜子は驚いて回りを見渡す。
すると、さわさわと葉の擦れる音と、さざめきの様な笑い声が強くなった。


『困ッテルワ、キョロキョロシテル』
『可愛イワ』
『ウン、トッテモ可愛イ』


内緒話をするかのような密やかな声を聞きながら、陽菜子は恐る恐る大樹を見上げる。
まさか、と思いながらも、そっと白樹に向かって声をかけた。


「あの、さっきから喋っているのは、あなた達ですか?」


一瞬、葉のざわめきが治まり、次いで白樹は嬉しそうに枝を揺すった。


『私達ノ声ガ聞コエルノネ』
『嬉シイ』
『ネェ、モット近クニイラッシャイナ』
『大丈夫、噛ミ付イタリナンカシナイワ』
『一緒ニオ話シシマショウ』


弾むような声を聞きながら、陽菜子はちらりと背後を振り返る。
湖の岸に立つ祥は、こちらに顔を向けたまま動く気配はない。
それならば、白樹の誘いにのっても、危険なことはないのだろう。
陽菜子は大樹に向き直り、覚悟を決めて足を踏み出した。




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