「ところで、君、お名前はなんて言うの?」
「あ、藤森です。藤森 陽菜子」
「ふーん、ひなちゃんね。了解」


笑顔で問う青年に、陽菜子は慌てて答えを返す。
彼は顎に手を当てて暫し考えてから、納得したように頷いた。


「僕の事は、店長って呼んでね。それで、ひなちゃんを連れてきた彼が、神代 祥くん」
「はぁ」


腕を組んで壁に凭れていた祥を指差し、店長が彼を紹介してくれる。
そう言えば、川原で会ってから今までが目まぐるしくて、自己紹介などすっかり忘れていた。
祥に自分を見つけてもらってから、とんとん拍子に話が進んでいる。
あとで、お礼を言わなければならないなと思いながら、陽菜子は軽く頭を下げた。
黙ってこちらを見詰めていた祥だったが、ふいと視線を逸らし青年を呼んだ。


「店長」
「うん、何? 祥くん」


面白そうに成り行きを見守っていた青年は、小首を傾げて祥を見る。
僅かに顔を顰めた彼は、溜め息を付いてからソファーに横たわる陽菜子を指差した。


「それくらいにして、いい加減、彼女を見てやってくれませんか」
「もー、すぐ祥くんはこれだからなー。自己紹介って大事なんだよ」


大仰に首を振って、店長は深々と息を吐いた。
そんな青年の態度には動じず、祥は無言を突き通す。
きっと、いつものやり取りなんだろうなと、陽菜子は彼らを交互にみやった。


「まぁ、良いか。じゃあ、ちょっとひなちゃんの身体を診させてね」


気持ちを切り替えるためか、店長は一つ手を叩き、陽菜子を振り返る。
緊張に顔を強張らせて、陽菜子は大きく頷いた。




*************




「ふーん、成程ねぇ」
「ど……どうでしょう」


一通り陽菜子の様子を調べ終え、店主は一つ息を付く。
彼は立ち上がると軽く首を回し、眉間に指を当てる。
その態度が、まるで問題を前にした人間の動作に見え、陽菜子は拳を握った。


「これって、一種の幽体離脱みたいなものなんだよね」


顎に手を当て、考えるように宙を見ながら、店長は陽菜子の現在の状況を説明してくれた。


「思春期ってさ、身体も精神も不安定になるでしょ? だから、その分、お互いを引き合う力も不安定になるんだよ。そのせいか、人によってはちょっとした刺激で、魂が抜け出しちゃうことがあるんだ」


陽菜子が川原に転がり落ちた時、頭部にちょっとどころか相当な衝撃を受けたし、今思えば凄い音がした気もする。
本当に自分の頭は無事だろうかと、陽菜子は少し心配になった。
只でさえ悪い頭が、更に悪くなっていたらどうしようか。
あまり直視したくなくて、陽菜子は眠り続ける自分の身体から視線を逸らした。
まぁ、確かめてみようにも、自分では己の身体を起こすこともできない。


「それで? 彼女、ちゃんと身体に戻れるんですか」


陽菜子が自分の頭の中身を心配している間にも、二人は話を進めていたようだ。
祥の言葉に意識を引き戻され、陽菜子は顔を上げる。
そうだった、今は頭の心配よりも、元に戻れるかの方が重要な問題だ。
店長を振り返ると、彼はにこりと笑って頷いた。


「大丈夫、身体と魂の引き合う力を、ちょっと調節してあげれば問題ないよ」
「ほ……本当ですか?」
「うん、僕に任せなさい」
「よかっ……たぁ」


軽く己の胸を叩いて請け負う青年を見詰めたまま、陽菜子は一気に力が抜けて床に座り込む。
幽霊だと言うのに、腰が抜けてしまったように上手く動けない。
ぺたりと床に座ったままの陽菜子に近付き、店長は目の前にしゃがみ込む。

おずおずと顔を上げると、安心させるように彼はふわりと笑う。
そのまま手を伸ばし、陽菜子の頭がある場所に掌を置いた。
感触はないものの、軽く撫でられているのが分かる。


「色々と不安で、怖かったでしょう? 良く頑張ったね」


そう声をかけられた途端、陽菜子の涙腺が壊れた。


「……うっ……うぇっ……っく……」


実体のない涙が、陽菜子の顎から零れ落ちて宙で消えた。
後から後から涙が溢れ出してきて、一向に止まらない。
陽菜子は両手で顔を覆い、しゃくり上げる。

本当は、とっても怖かった。
不安で不安で、叫びだしてしまいたかった。
でも、あまりにも混乱して、涙すら出てこなくて。
誰かに助けてもらいたくて、必死になって話しかけた。


(私を見つけてくれて、ありがとう。手を差し伸べてくれて、ありがとう)


幽霊になって初めて、陽菜子は大声を上げて泣いた。




次へ 
 
前へ 
 
目次へ