ぷかぷかと浮かびながら、少年の後に続いて10分くらい経った頃、見慣れた商店街が近付いてきた。
彼は賑わう大通りを少し歩いてから、脇の小道に足を踏み入れる。
途端に狭くなった道は、しんと静まり返っていて、同じ商店街とは思えない。

古びた家や商店を幾つか通り過ぎ、彼は更に細い路地に入り込む。
塀の上で体を伸ばしていた猫が、二人を見下ろして鳴き声を上げた。
家の屋根と屋根の間に青い空が切り取られて、隙間を雲がゆったりと流れていく。
街の商店街は学校の帰りによく寄り道をするが、こんな路地があるだなんて知らなかった。

上を眺めながら浮いていた陽菜子は、少年が立ち止まった事に気付くのが遅れる。
危うく彼にぶつかる、と言うかすり抜けてしまうところで、慌てて急停止した。
特に感触はないけれど、人間の体を通り抜けるのはあまり良い気分ではない。
ほっと息を付いてから、目の前の少年へ問いかける。


「どうしたの? 急に立ち止まって」
「悪いけど、戸を開けてくれないか」
「え?」


少年の言葉に、陽菜子は彼の背後から飛び出して前を見る。
古ぼけたそのお店は、今時珍しい日本家屋で、正面の入り口は上半分に硝子がはめ込まれた引き戸だった。
少しぼかしの入ったその硝子には、かすみ堂と店の名前が書かれている。
まじまじとその戸を見詰めてから、陽菜子は困ったように少年を振り返った。


「でも、私、今は幽霊だから、扉には触れないよ」
「いや、ここの戸はあんたでも開けられる」


確信しているかのように、少年は顎で戸を示す。
陽菜子は眉を下げて、扉と彼を交互に見やった。
どちらにせよ、少年の両手は自分を背負っているせいで塞がっている。
ならば、自分が戸をどうにかしなければならない。


(世の中には、ポルターガイストって言うのもあるし、大丈夫、何とかなるはず!)


心を決めて、陽菜子は扉にそっと手を伸ばした。
指先に取っ手が触れる感触があり、陽菜子は少しばかり勇気付けられる。
そのまま横に力を込めると、戸はガラガラと音を立てて開いた。

薄暗い店内には、古い道具や、壷、掛け軸、本などが所狭しと陳列されている。
雑多に並べられた棚の奥に、重厚な木製の長机があった。
机の上には古びた卓上ライトと、レジスタが置かれている。
その長机の前に座っていた人物が、物音に気付いたのか顔を上げた。

店の外観から、年のいった老人を想像していたのに、彼は思いの外若そうな青年だった。
柔らかそうな薄茶色の髪は、所々寝癖のように跳ねている。
彼は差し込んだ光りに少し目を細め、眼鏡を外すとふわりと微笑んだ。


「やぁ、お帰り、祥くん。今日は随分と早かった……」


言いかけた言葉を止めて、青年は店に入ってきた少年を凝視する。
暫らく熟考してから、ことりと首を傾げた。


「あきらくーん、どうせ女の子を連れ込むならさ、家じゃなくて、目一杯いちゃつけるところにしないと」
「何を勘違いしてるか知りませんけど、彼女は客ですから」


呆れたように青年を睨んで、少年、祥は長机の隣に置かれているソファーに陽菜子を降ろした。


「あれ、お客さんだったの? 何だ、僕、てっきり甘酸っぱい青春の一幕かと勘違いしちゃった!」


からからと笑う青年に、祥は疲れたような溜め息を吐く。
陽菜子は彼らを見詰めた後、戸惑いがちに声をかけた。


「あのー……」


陽菜子の声に、青年はくるりと振り返る。
少し細めの焦げ茶の瞳が、迷いなく陽菜子を捉えている。
どうやら、この青年も自分が見えているらしい。
暫らくそうして陽菜子を見詰めていた青年は、やがてにっこりと微笑む。


「いらっしゃい、お困りのお嬢さん。かすみ堂へようこそ」


目を瞬かせる陽菜子に、青年は小首を傾げて笑みを深めた。




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