落ち込みから復活すると、リオは年頃の少年らしく様々なことに興味を持った。
どこから来たのか、歳は幾つか、いつから船に乗っているのか、など矢継ぎ早に質問してくる。
彼の言葉はどうにか聞き取れるのだが、まだまだ話す方は苦手だ。

 この場にローがいれば通訳を頼むのだが、彼は如何せん仕事中である。
普段、葵に言葉を教えてくれるのも、仕事の合間に態々時間を作ってくれているのだ。
自分の都合で、気安く呼び寄せるわけにはいかない。

 しかし、居合わせたボルトは葵の里の言語は分からず、それほど頼りにはならない。
身振り手振りを交えつつ、葵は四苦八苦しながら何とかリオの質問に答えていく。
そうして暫く経った頃、リオが何か思い付いたとでも言うように声をあげた。

「そう言えば、葵はこの船に乗ったばかりなんでしょう? この船は俺の遊び場みたいなものだし、俺が案内してあげるよ」
「え?」

 リオの突然の提案に、葵は戸惑ったように視線をさ迷わせる。
実のところ、先程から葵は右足に繋がる鎖を隠していた。

 彼が部屋に飛び込んできた時は流石にそこまで気が回らなかったが、人が鎖で繋がれている場面など、子供に見せるものではない。
だから、話を始めてからは、右足や鎖をシーツで覆い被せ、彼からは見えないようにしていたのだ。
どう断ろうかと考えあぐねてから、葵は結局正直に断ることにした。

「ごめんなさい。私は、それを、する、できません」
「え? どうしてさ!」

 断られるとは思っていなかったらしいリオは、頬を膨らませて不満をのべる。
理由を尋ねられるが、そちらは本当のことを言うわけにもいかず、曖昧な返事を繰り返す。
そうしている内に、徐々にリオの表情が曇り始めた。

「葵は俺と一緒に船を回りたくないの?」
「いえ、そうではなくて……」

 翠の瞳にとうとう涙を浮かべ始めたリオに、焦った葵は壁際に立っていたボルトに助けを求めて視線を投げる。
葵の視線を受けたボルトは顔をそらして頭を掻いてから、諦めたように大きく溜め息をつく。
そうして、二人に近づいてから、すっかり垂れてしまったリオの頭に軽く手を置いた。

「あのな、坊っちゃん。こいつは、この部屋から外には出らんないんだよ」
「……だから、どうしてなんだよ!」

 ボルトの言葉に、リオは剥れた顔で彼を見上げる。
どう答えたものかと暫く考えていたようだが、面倒になったのかボルトは唐突に葵のシーツをめくりあげた。

「ちょ、ボルトさん!?」
「こう言うのは下手に隠すから面倒になるんだっての」
「でも……」
「あー、もう。俺は元々考えるのとか苦手なんだよ。そう言うのは、ローとかアレクシスの役目! って訳で、ほら坊っちゃん、見てみな」

 慌てる葵のことは放置して、彼はリオへ顎をしゃくって持ち上げたシーツの下を示す。
素直に従ったリオは、それを見た瞬間に固まった。

「なっ、何だよ、これ!」

 困惑に声をあげるリオに、葵はほら見たことかと、ボルトへ怨めしげな視線を送る。
しかし、彼に堪えた様子はなく、しれっとした風でリオを見下ろしたままだ。
次にローと会ったら、絶対に今日のことを告げ口しようと心に決めつつ、葵はリオに話しかけた。

「あー、リオくん。これは、たくさんの、りゆう、が、あります」
「足に鎖を繋げられなきゃなんない理由ってなに!? こんなの、酷いよ!」
「えっと、それは……」

 言いよどむ葵を他所に、ボルトはちょうど良い機会だとありのままを彼に伝える。

「こいつはね、元々、別の船にのせられてた売り物だったの。んで、今度はその船を襲った俺達の船の戦利品になった。つまり、金銀財宝と一緒ってこと。分かった? 坊っちゃん。俺ら海賊の世界ってのは、坊っちゃんの知ってる、優しくて、楽しいだけの世界とは違うんだ。坊っちゃんだって、いつ他の船の奴等に襲われたって可笑しくないんだぞ」
「……」

 話を聞きながら、俯いて押し黙ってしまったリオに、ボルトは少し脅かしすぎただろうかと反省する。
軽く頬を掻いてから、リオの肩に手を置き、明るい調子で声をかけた。

「まぁ、そうは言っても、坊ちゃんには俺らがそんなことさせないけどな」
「……分かった」

 しょぼくれたリオの様子に、ボルトは満足げな笑みを浮かべる。
これで、彼が危ないことや余計なことに首を突っ込まなくなるなら、怖がらせたかいもあるというものだ。

「そうか、そうか、なら大人しく……」
「じゃあ、俺が葵と友達になれば良いんだ!」

 そのままリオを自室へ送り届けようと背中を押したボルトだったが、彼の口をついて出た言葉にガックリと肩を落とす。

「……坊っちゃん、俺の話、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよ、失礼なこと言わないでよね」

 ボルトの言葉にムッとしたように唇を尖らせてから、リオは顔を輝かせながら葵を見上げた。

「つまりさ、葵は“売り物”だから鎖に繋がれちゃってるんでしょう? だったら、俺の“友達”になれば、外に出たって良いじゃないか。友達に船を案内するのは、何にもおかしなことじゃないもんね!」
「あー、そーねー」

 自分なりに名案だと思ったのか、リオは両手を腰に当てて何度も頷く。
ボルトは疲れた様子で俯くと、適当に返事を返した。
普段、どちらかと言えば周りを振り回す側のボルトが、逆にリオに振り回されるという構図が珍しく、葵はまじまじとその様子を見つめる。
そうしてぼんやりとしている間に、リオはくるりと踵を返して駆け出した。

「俺、ちょっとアレクシスの所に行ってくる。待っててね、葵!」
「え、あ、はい」

 嵐のように去っていくリオを、思わず葵の里式に手を振って見送ってから、彼は背後で頭を垂れているボルトを振り返った。

「よい、ですか?」
「良かぁないけど、仕方がないでしょ。坊っちゃん、言い出したら聞かないし。あー、俺、今度こそアレクシスに半殺しにされるかも」

 小首を傾げつつ尋ねると、ボルトは疲弊しきったように重たい溜め息を吐いた。
そうして暫く黄昏ていたボルトだったが、不意に思い出したように声をあげる。

「あぁ、でも、一つだけ忠告しておくけど……」

 上体を起こしたボルトの表情は、先程までの気の抜けた様子からは一変し、冷えきったものになっていた。
初めて会った時を思い出し、葵の体にも自然と力が入る。
自分を映す翠の瞳は、リオと同じ様な色をしているのに、それだけで全く違うもののように見えた。
冷たく凍った視線を葵に向けながら、ボルトはにっこりと笑みを浮かべる。

「もし、坊っちゃんに何かしたら、容赦しないよ?」

 そのボルトの言葉に、今度は葵が冷笑を漏らす番だった。
この部屋から出ることもままならず、金髪の男の慰み者にしかなれない自分に一体何ができると言うのか。

 そもそも、海上という閉鎖された空間で、助けてくれる人間もいないのだ。
そんな中で誰かに危害を加えるなど、只の自殺行為に他ならないだろう。

 不甲斐ない己に、消えてしまいたいと何度も考えはした。
しかし、その様に無謀で愚かな行動をして命を投げ打つのは、葵のなけなしの矜持が許さない。

「そのような、こと、する、しません」

 皮肉気な笑みを浮かべ、言外にできるはずもないと含ませながら、葵はボルトを見上げる。
数秒の間、じっと視線を合わせていたボルトだったが、やがて目を閉じて肩を竦めた。

「まぁ、あんたみたいな弱そうな奴、坊ちゃん一人でも倒せそうだしなぁ。第一、アレクシスがあんたをここから出すの、許可するとも思えないしね」

 そう言って、机の傍から窓際まで椅子を引いていくと、どかりと腰を落とした。
恐らく、リオが戻ってくるまでそこで待つつもりなのだろう。

 仕方がないので、葵もベッドを整え、机の上を片付け始める。
シーツをどうするか悩んだが、もうリオには鎖のことも見られてしまったのだから隠す必要もないだろう。
落ち込んで帰ってくるかもしれない彼を、どう慰めようかと考えながら、葵は開いたままだった本を本棚に戻す。

 大方片付けを終えたころ、意気揚々と部屋へ戻ってきたリオの手に、葵の足枷の鍵が収まっていることも、それを見たボルトが唖然と口を開けることも、この時の二人には知る由もなかった。




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