「……ユーリ」
「殿下」
「ユーリ」
「ラズフィス殿下!」


 ふらふらと歩き出したラズフィスを、カーデュレンは腕を掴んで止める。
感情と共に不安定に揺れる彼の魔力を感じ、背筋に嫌な汗が流れた。
だが、ラズフィスは急に自分の両耳を押さえてきつく目を瞑る。
何事かと焦ったが、次に彼が目を開けたときには、しっかりと理性の色が戻っていた。
それでも、制御しきれていない魔力が、パチパチと火花を散らす。
風もないのに、室内のカーテンやシャンデリアが揺れている。


「殿下、気をお静め下さい。まだ、ユーリ殿と決まったわけではありません」


 ゆっくりと、ラズフィスはカーデュレンに目を向ける。
底の見えない硝子玉のような瞳に、カーデュレンは身を震わせた。
すぐに視線を逸らすと、ラズフィスは心を落ち着けようとするかのように、自分の耳を飾るピアスを撫でる。
そうしている内に、徐々に第1王子の自室内の空気は落ち着きを取り戻した。
安堵の息をついてから、カーデュレンは彼の前に片膝を付く。


「これより、私が現場へ赴き確認してまいります。殿下はどうぞ、王城でお待ちください」
「頼む」


 答えたラズフィスの声は、思いの外落ち着いている様だった。
一つ礼をして、カーデュレンは足早に部屋を立ち去る。
慌ててついてきた侍従に、トゥリジール山に最も近い街に移転用の魔方陣を発動させるよう命じる。


(ユーリ殿)


 ラズフィスのためにも、どうか無事であって欲しいと、願わずにはいられない。
彼女は、彼の初めての友であり、姉のような人だった。

 ラズフィスにとって、血のつながる姉は同母の第3王女を始め、それこそたくさんいる。
しかし、有力な跡継ぎ候補であるがゆえに、幼い頃から他の姉妹達とあまり接触する機会がなかった。
少し成長した頃には、逆に魔力を持たぬ見せ掛けだけの王子として、周りから冷たい目で見られた。

 そんな中で、ラズフィスの話を聞き、彼の知らない世界を見せ、魔力を得る助けをしてくれた人が彼女だった。
幼い少年が心を開くのに、当然時間はかからなかった。

 王城での最後の夜となった昨夜、彼女と話をして帰ってきたラズフィスは苦笑しながらも晴れやかだった。
彼女が森での生活を愛しているから、今は共にいるのは諦めると王子は言った。
頑張って王になった暁には、彼女を迎えに行くのだと嬉しそうに笑っていた。

 それはいつか彼女が言ったように、懐かしい思い出になるだろうと、カーデュレン自身も思っていた。
決してこの様に唐突に、失われて良い物ではなかったはずだ。


(ユーリ殿、どうかご無事で)


 城の地下にある魔方陣の上で、カーデュレンは転移用の魔術を構成させる。
半ば祈るような思いで、彼は魔力を発動させた。





*************





 カーデュレンが山の麓の町へつくと、すでに先に到着していた兵士達が慌しく動き回っていた。
町の住民が貸してくれたのだろう簡易テントに入ると、机の前で顔を突き合わせていた町の自衛団長と小隊長が顔を上げた。


「これは、カーデュレン様。わざわざご足労いただき、申し訳ありません」
「構いません、それより不明者の消息はどうなっていますか」


 騎士の礼をする小隊長に頷いて返し、カーデュレンは足早に机に近づく。
卓上に広げられた地図には、赤いインクで×印がつけられている部分を幾つか認めた。
印は崖にそって点々と続いており、崖下に流れる川の周囲にも何ヶ所か認める。
恐らく、捜索して不明者が見つからなかった場所なのだろう。


「は、崖崩れがあったのはここです。不明の女性は馬車と共に、土砂に押し流されたとのことです。土砂は崖下で止まっており、馬車の半分は土に埋もれ、半分は増水した川に流されたようです。今のところ、自衛団と共に捜索に当たっていますが、目ぼしい情報は得られていません」


 小隊長からもたらされる絶望的な情報に、カーデュレンはきつく目を瞑った。
この土砂降りの雨では、川は濁流となっていたはずだ。
もしそれに流されたのなら、助かる可能性は限りなく低い。

 土砂の中に埋もれた馬車と共にあるなら、早く助け出さなければ時間と共に生存率が下がる。
だが、カーデュレンが知らせを受けてから、それなりの時間が経っており、まだ見つからないとなると、こちらも望みは薄いということになるだろう。


「その女性について、何か分かったことは?」
「女性は背の中ごろまである長髪の黒髪、黒目の妙齢の女性で、王都を早朝に発ったようです。ウジャル村方面へ向かうつもりだったとか」
「身元の分かるような所持品はあったのですか?」
「あいにく、直ぐに身元の特定につながるものはありませんでした。こちらに保管してありますが、ご覧になりますか?」


 小隊長に案内され、机の横に設置されていた衝立の裏側に回る。
彼の説明では、女性が馬車に持ち込んだのは、運搬用の魔法袋一つだけだったということだ。
中身はすでに取り出してあるようで、小隊長の指差した先に様々な物が並べられていた。

 数枚の着替えと、女性らしく櫛などの身支度の品がある。
それ以外は、殆ど野菜の苗や植物の種で、それらは所狭しと並べられていた。

 数ある薬草の中に、一株のリュエの花があった。
思わず息を呑み、だがカーデュレンは一縷の望みに託す。
たまたま、リュエの花を購入した者であったかもしれない。
そう思いながら、残りの品に目をやる。

 だが、ある一点の物を目にした瞬間、彼は希望が絶たれた事を認めなければならなかった。
カーデュレンの視線を捉えたのは、一対の耳飾だった。
彼はその耳飾に、嫌と言うほど見覚えがあった。

 あれは、ラズフィスのお気に入りのピアスだった。
彼は今代国王陛下の第2属性である、火の魔力のこもった赤い石の耳飾を好んでつけていた。
父のように立派な王になりたいと、父親と同じ色を身につける、彼なりの精一杯の思いだったのだろう。

 それが昨晩、夜会へと戻ってきた時から、風の魔力が込められた翠の守り石のピアスに変わっていた。
シンプルなピアスはラズフィスに良く似合っていたが、カーデュレンは今まで彼がそれを身につけているのを見たことがなかった。
どうしたのかと問うても、ラズフィスは笑うだけで、元々付けていた赤い石の耳飾の行方は、とうとう分からなかった。

 それが、まさかこんな所で、こんな形で見つかるとは思いもしなかった。
彼は己の一番の宝物を、彼女に託していたのだ。


(あぁ、どうして貴女が……)


 ここまでくれば、もうごまかすことはできなかった。
幼子をかばい、馬車と共に土砂崩れに巻き込まれたと言う女性。


(ユーリ殿!)


 カーデュレンは片手で顔を覆い、王都で知らせを待つであろうラズフィスを思いやった。





*************





 薄暗い部屋の中に、少年の慟哭が響き渡る。
喉が張り裂けんばかりのその声は、聞く者の胸に痛みを残した。
閉じられた部屋の中を風が舞い、僅かに残っていた灯りを吹き消す。
かき乱したように乱雑に散った金糸が、彼が首を振るたびに散る。
彼の小さな手には、一対の耳飾が納まっていた。


(どうして、なんで!)


 彼の感情に呼応して魔力が爆ぜ、部屋の壁を焦がす。
噛み締めた唇の端から血が流れたが、それすらも気にならない。


(絶対迎えに行くと約束したのに、あれほど、森に帰りたいと言ったじゃないか)


 突っ伏した枕に、拳を思い切り叩きつけると、手の中で耳飾の金具が小さく音を鳴らす。
その音すら、今の彼には煩わしい。
後から後から、涙が溢れて止まらない。
きっと自分の涙腺は壊れてしまったのだと、ぼんやりとした意識の中で思う。


(楽しみにしてるって、笑ってたのに)


 迎えに行くという彼の言葉に、少し呆れたような顔をしながら。
初めて我侭のような事を言って、強引な約束をした。
それなのに、己が渡した耳飾は戻ってきてしまった。
彼を悲しみの底に、突き落とすような知らせを伴って。

 もっと、泣いて引き止めれば良かったのだろうか。
それとも、宝物のように閉じ込めて、帰さなければ良かったのだろうか。
そうすれば、彼女は困った顔をしながらも、側にいてくれただろうか。
今となっては、それすらも分からない。
ただ、彼女は永遠に失われてしまったのだ。


(……ユーリ)


 彼女はよく、自分を太陽のようだと言った。
でも、己にとっては彼女の方こそ暖かな太陽だった。
木漏れ日のように、穏やかに自分を包み込む、光のような人だった。







*************






 嵐が過ぎてから、暫らく不明女性の捜索は続けられた。
土砂崩れの現場や、近隣の村、川の下流までその手が伸ばされたが、彼女の行方は杳として知れなかった。
やがて捜索は打ち切られ、その女性は死亡したものとして処理された。

 月日は流れ、季節は巡り、王都に春がやってくる。

 相も変わらず賑わう王都の通りを、一人の人物が歩いていく。
顔が見えないほど深くローブを被った人物は、とある薬屋の前で歩みを止めた。
その人物は一度店を見上げると、扉に手をかけ押し開く。



 物語が再び動き出すのは、あの嵐の日から20年の歳月を経た後のことであった。




 
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