ぼんやりと月明かりが照らす町を、夜の闇と静寂が支配していた。
それは船着き場も同様で、寄せては引いていく波の音だけが繰り返し響いている。
多くの船員が町に繰り出しているためか、停泊する幾隻かの船はひっそりと静まり返えり、まるで幽霊船のようだった。

 それはアレクシス達の船も同様で、普段ならば遅くまで話し声のしている雑魚寝部屋も、今日ばかりは鼾と歯軋りの音がするくらいだ。
そんな風に誰も彼もが寝静まる中で、最も奥まったところにある一室だけが異質であった。

 暗闇の中、室内には荒い息とベッドのスプリングが激しく軋む音が響く。
異様に籠った熱のせいか、嵌め殺しの窓が白くくもっている。

 はぁ、と息を吐き出して、アレクシスはぺろりと己の唇を舐めた。
熱気のせいか、くらくらと眩暈がするようで、彼はきつく眉間に皺を寄せる。
こめかみから垂れた汗が顎を伝い、重力に従ってぱたりと落ちた。

「ふっ……ぅ……」

 その瞬間、自分の下であがったくぐもった呻き声に、アレクシスは顔を俯ける。
視線の先では、黒髪の男が苦しげに眉根を寄せたまま、忙しない呼吸を繰り返していた。

 呼吸に合わせて上下する象牙色の胸に、アレクシスは誘われる様に唇を近づける。
汗ばむ肌をきつく吸い上げて痕をつけてから、ぷくりと膨らんだ胸の頂に甘く歯を立てる。
男がくうと喉を鳴らしながら仰け反ると同時に、アレクシスは彼の中に埋め込んだままだった性器を突き上げた。
その耐えがたい刺激に、男は身体を強張らせて悲鳴を上げる。

「……ひっ……あ……っ!」

 瞬間、後孔が一際きつく締まり、アレクシスは低い呻き声と共に何度目かの精液を放つ。
己の中に広がる熱を感じてか、男は唇を戦慄かせながら意味のない喘ぎ声を上げている。
まるで搾り取るようにきゅうきゅうと締め付ける内壁に、アレクシスは射精の余韻に浸りながら腰を押し付けた。
既に幾度か注ぎ込まれた白濁とオイルが、混ざり合って淫猥な音を立てる。
荒い息を吐きながら、アレクシスは自分の下で同じように余裕のない呼吸を繰り返す男を見下ろした。

 四肢はぐったりとシーツに投げ出され、黒い睫に縁どられた両の瞼はきつく閉ざされている。
この様子では、手首の戒めを外されたことすら気づいていないだろう。

 赤く擦れて跡の付いたそこを軽く指でなぞり、男に視線を戻すと、彼が小さく何かを呟いているのに気付いた。
気まぐれで顔を寄せてみれば、散々啼かされて掠れた声が、なんで、どうしてと、譫言のように繰り返していた。

 そんな男の言葉に、アレクシスは眉根を寄せる。
どうしてか、など逆にこちらが聞きだいくらいだ。

 今組み敷いている体は、柔らかいところなど一つもなく、骨ばっていてとても抱き心地が良いとはいえない。
顔だって、童顔で比較的整ってはいるが、性別が分からないというほどでもない。
声などはどちらかと言えば低い方で、女と間違うなんてありえないだろう。

 それなのに、どうしてかこの黒髪の男はアレクシスの劣情を刺激した。

 細く長い息を吐いて、男がうっすらと目を開ける。
その黒曜石の瞳に、アレクシスの欲を刺激した、あの鋭い光は見当たらない。
だが、熱に浮かされたように薄く涙の幕が張ったそれも、なかなかそそるものがある。

 アレクシスの背筋に、ぞくりと言いようのない感覚が這い上がる。
思わず息を吐き出し、自然と唇が笑みの形に歪む。

 体内に埋められたままだったアレクシスの性器が、再び硬さを取り戻したことに、男は信じられないとでも言うようにこちらを見上げた。
軽く腰を揺らすと、小さくあがった悲鳴と共に内壁が柔く痙攣する。
アレクシスは男に顔を寄せ、黒髪の間から覗く耳を甘噛みしてゆっくりと舌を這わせた。

「……はっ……なぁ、もう一回くらい、いけるだろ?」

 耳元に囁かれた言葉を理解し、夜色の瞳が絶望に見開かれる。

(もう終わると思ってたんだろ? 可哀想にな)

 思ってもいないことを内心で呟きながら、アレクシスは再び男の下肢に腰を打ち付け始める。
月明かりがだけが差し込む暗闇の中、淫らな水音と苦痛と快楽の入り混じった嬌声が響いた。




**********




 思わぬ人物の訪問に、まるでそこだけが時を止めたかのようだった。
葵も、金髪の男も、その場に立ちすくんだままぴくりとも動かない。
海風に揺られた蝋燭の灯りがゆらゆらと揺らめき、壁に映る二つの影がそれに合わせて踊っていた。
その時、一際強い風が室内に吹き込み、蝋燭の火が掻き消える。

「……っぁ……」

 夢から覚めたように我に返った葵は、金髪の男を凝視したまま後退りする。
男がそれを追うように一歩前へ出ると、その背後でパタリと扉が閉まった。

 蝋燭の火が消えた室内は暗闇にのまれ、唯一嵌め殺しの窓から差し込む月の光だけが青白く影を浮きだたせている。
男の影から視線を逸らさぬまま、葵は一歩、また一歩と後ろに下がりながら後方へ手を伸ばす。
その指先が、硬い木の感触に触れた。
どうやら机のある位置まで下がってきたらしい。

 必死にその上を探ると、厚い紙の束にたどり着き、葵はそれをさっと引き寄せる。
恐らく、先程まで葵が分からない文字を書き留めていたものだろう。
男が葵に近づくのを見計らい、葵は紙の束を彼に向かって投げつけた。

 咄嗟に腕を前に出して顔を庇う男の懐に、葵は身を屈めて体当たりする。
ふらついた男から距離を取ると、軸足に重心をかけ、男の頭を狙って蹴りつけた。
呻き声を上げながら横に吹っ飛んだ男は、壁に叩きつけられ、そのまま床に転がった。

 暫く動かしていなかったせいか、だいぶ体が鈍っているらしい。
この程度で上がる息に顔を顰めつつ、葵は警戒を解かぬまま男へと近づいた。
傍に立って見下ろしてみれば、男は目を閉じたままぴくりとも動かない。
男の胸が上下しているところを見ると、死んではいないだろう。

 ひとまず、ふっと息を吐き出して肩の力を抜いた葵は、さてどうしたものかと考え込む。
防衛本能からつい体が動いてしまったが、このままでは面倒なことになるのは必至だ。
考えを巡らせていた葵は、ふとある事に思い当たって口元に手をやる。

 ボルトの話では、この男は葵が乗せられている船の船長であったはずだ。
当然、船においての全ての権限はこの男にある。
ならば、葵を繋ぐ忌まわしい鎖の鍵も、彼が所持しているに違いない。

 上手くいけば、故郷に帰れるかもしれないという事実に、葵の心臓が早鐘をうった。
幸い、ローのおかげで帝国語も多少は理解できるようになった。
恩を仇で返すような形にはなるが、背に腹は代えられない。

 罪悪感を覚えながらも、ここから逃げ出す算段を立てていた時、足元からじゃらりと鎖が擦れる音がした。
はっと息を呑んで視線を下げると、好戦的な光を宿した瞳と目が合う。

「獲物を仕留めるつもりなら、最後まで気を抜くもんじゃないぜ」

 皮肉げな笑みを浮かべ、男は掴んでいた鎖を思いきり引っ張った。
しまったと舌打ちした時にはすでに遅く、右足を取られた葵の体は後ろへ傾いだ。

 反射的に丸まって頭を庇った葵は、急に陰った視界に目を見開く。
声を上げる間もなく顔の真横に銀の刃が突き立てられ、何本かの黒髪が宙を舞った。
一度瞼を閉じてから、葵はなるべく感情を押し殺して目を開く。

「大人しそうな顔して、案外足癖が悪いんだな」

 葵に馬乗りになった男は、呆れたように呟きながら葵の顔を覗き込む。
そうして、くつくつと笑い声をもらすと、楽しそうに瑠璃色の瞳を眇めた。




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