ざあざあと雨粒が窓を叩くような水音に、アーシェは微睡んでいた意識を覚醒させる。
部屋の中は薄暗く、自分が部屋に入ってから随分と時間が経ったことが知れた。

水音は、どうやら同室者がシャワーを浴びている音のようだ。
今日は指名手配の魔物と一戦交えている時に、運悪く天の使いから妨害を受けた。
そのせいで、珍しくも血で汚れたルーシスは当然のように機嫌が悪かった。

だから、アーシェ達はその場で、魔物を協会に突き出す係とまともな宿を探す係の二組に別れた。
夕刻を過ぎての宿探しは困難を極めることも多く、最悪の場合は近くの森で野宿となる。
そうなれば、ルーシスの機嫌が更に下降することは目に見えていた。

宿探し組であるアーシェとアデスは、運良く4つ目の宿で空き部屋を見つけ、なんと二部屋を確保することに成功した。
結果に満足したアデスは、先に食堂で早めの夕食を取ると、綺麗な女性と『一夜の恋』をするために出かけていった。

そうすると、彼は夜明けまで帰って来ない。
ベリルはルーシスと供に協会へ出ているから、アーシェは暫らくの間一人きりだ。
つまらないと不満を漏らすと、アデスはくしゃくしゃと頭を撫でて、土産を買ってきてやると笑った。

買い物にでも出掛けたかったが、アーシェは一応の保護者である、ルーシスが帰って来ないと、夜の街への外出許可がもらえない。
夕食を取った後、手持ち無沙汰でベットに転がっている内に、どうやら眠ってしまっていたらしかった。

まだ寝起きで働かない頭で、宿に入ってからの事を反芻している間に、ルーシスはシャワーを終えたらしかった。
水音が止まり、暫くするとガチャリと戸が開いて、聞き慣れた足音が響く。
それは少しの間室内を歩き回り、部屋の入り口で鍵を掛けると再び戻ってきた。
最後に枕元のスタンドの小さな明かりをつけると、当然のようにアーシェのベッドへと潜り込んでくる。

「……あっち、空いてるよ」

もう一方のベッドを指差し訴えてみるが、ルーシスは無言のままだ。
自分を抱きかかえる彼を見上げ、アーシェはもう一度主張してみる。

「ここ、わたしのベッドだよ」
「うるせぇ。黙ってとっとと寝ろ」

己は間違ったことは言っていないのに、怒られるだなんて理不尽だ。
アーシェは不満げに頬を膨らませた。
もぞもぞと動くと、背後から安っぽい石鹸の香りがする。
二手に分かれる前は、お互い鉄錆びた臭いを纏わり付かせていたから、不思議な気分だ。

それに、先程までシャワーを浴びていたルーシスは、いつもより温かい。
普段、低体温の彼は、基本的に寒いのは嫌いなようだ。
表情には出さないものの、どことなく不機嫌になる。
アーシェが冷温動物と呟くと、睨まれるか、頭を叩かれるかのどちらかだ。
今は叩かれていないのに、何となく痛みを覚えて、アーシェは己の頭を撫でた。

取り留めなく考え事をしているうちに、ルーシスは完璧に寝る態勢に入ったようだ。
無駄なこととは知りつつも、アーシェは最後の抵抗として小さく呟く。

「わたし、湯たんぽじゃないのに」
「当たり前だろうが。こんな喧しい湯たんぽがあってたまるか」

頭上から落ちて来た声は、どこか呆れを含んでいる。
そのまま、一言二言交わしているうちに、段々と瞼が重くなってきた。
背後から響く鼓動の音が、アーシェを深い眠りへと誘っていく。

(湯たんぽじゃないけど……)

まどろむ意識の中で、アーシェは背中の温もりに引っ付いた。

(きっと、二人の方があたたかい)

それは予測ではなく、確信で、知らず知らずのうちに笑みが零れた。
やがて、室内を穏やかな寝息が満たす。
そうして、彼らの夜は更けていくのだ。