店の奥の一間に集まり、わいどしょーを見ていた小妖怪達は、ある議題で盛り上がっていた。
それは、いんたびゅーを受けていた人間の言った、『近頃の若者』という言葉についてで、近頃とは一体いつ頃のことを示すのかということだった。
あるものは百年以内のことではないかと意見し、あるものは三百年以内ではないかと意見した。
協議の末、間を取って百五十年ほどのことを近頃と呼ぶことになった。
そんなことをしている内に、店の引き戸が開く音がして、見知った気配が店内に滑り込んできた。
最近妖怪達の縄張りにやってきた、陽菜子という名の人の子だ。


『この気配は、ひなじゃ!』
『ようやく帰ってきたか』


小妖怪達はわいわいと騒ぎながら、各々店の方へと駆けて行く。
しかし、店に近付くに従い、彼らは首を傾げて顔を見合わせた。
普段、陽菜子はがっこうから帰ってくると、えぷろんを付けて騒々しく掃除を始めるのだが、今日はしんと静まり返っている。
妖怪達は店との境にある太い柱まで走りより、ひょっこりと顔を覗かせた。

果たして、陽菜子は店に居た。

彼女はソファーに横になり、小さく寝息を立てている。
再び顔を見合わせて、小妖怪達はそろりそろりと近付き、ソファーによじ登った。
ぴたぴたと頬を叩いてみても、陽菜子は眉間に皺を寄せるだけで、一向に起きる気配がない。
そういえば、この所、彼女はちゅうかんてすと、とやらに苦しめられていたようだった。
ここ数日は、半べそをかきながら、祥にすうがくについて教わっていたのを覚えている。
何だ、せっかく遊べると思ったのに、つまらん、と妖怪達がぼそぼそ話をしていると、陽菜子が一つくしゃみをした。


『おぉ、驚かせおって。こやつ、くしゃみをしたぞ!』
『人間はか弱いからのぅ、病でも得たか?』
『それは良くない。人の子は風邪で死ぬ者もいると聞くぞ』


さて、どうするべきかと会議をし、一つ目が「人は眠るときに、寒さを凌ぐ為に掛け物をかけるそうだ」と呟いた。
次に、子鬼が古びた布を指差し「ならば、あそこにある、あれをかけてはどうじゃ」と提案したことで決着がついた。
一本足の傘化けの号令の元、小妖怪達は汗を掻き掻き布を運び、苦労の末に陽菜子の上に持ってくることに成功した。


『全く、ひなめ。子分の癖に我らの手を煩わせるとは!』
『起きたらたっぷりとこき使ってやらねばなるまい!』


文句を言いつつも、満足げな息を吐いた小妖怪達は、陽菜子が起きるのを待つ間、相撲を取ることに決めた。
ソファーの脇に置かれたテーブルの上に、白い紐で土俵を作ると、順番にどすんばたんと転がりまわった。





*************





「あ、祥くん、お帰りぃ」


前方からそう声をかけられて、祥は俯いていた顔を上げた。
視線の先では店長がこちらに大きく手を振りながら、店先に休業の札をかけているところだった。
店の前で足を止めた祥は、ゆらゆらと揺れる札を見下ろし、一つ瞬きをしてから店長へと視線を移す。
今日は定休日でもなければ、特にイベントがあるわけでもない。
祥の視線にくふふと笑って、店長は店内を指差した。


「本日、当店は眠り姫と小人達の貸切でーす」


それを言うなら白雪だろうとは思ったが、それなりに店長と付き合いの長い祥は、特段突っ込むでもなく店内に目を向ける。
店の奥に置かれた大きめのソファーに、一人の少女が丸まって横になっていた。
彼女は自分と同じく、このかすみ堂で働いているアルバイトだ。
ここ暫らくは、中間テストのために睡眠時間を削っていたようだから、うとうととしている内に本格的に眠り込んでしまったのだろう。
ソファーの横にあるサイドテーブルの上には、ぐちゃぐちゃになった白の毛糸が一塊放置されている。
そして、陽菜子の眠っている枕元には、小妖怪達が折り重なるようにして寝息を立てていた。


「はい、祥くん」


ぼんやりと彼らの様子を眺めていた祥は、突然目の前に何かを突きつけられて、反射的にそれを受け取る。
ふんわりとした手触りのそれをよくよく見てみれば、大きくて温かそうな毛布だった。


「君もちょっとお疲れモードでしょ? 今日はゆっくり休みなよ」


そう言って、笑いながら店の奥へと引っ込んで行く店長を見送り、祥は暫くその場で佇んでいた。
確かに、祥自身も今回は少し疲労を感じていた。
テスト勉強自体はそれ程大変なものでもなかったから、気疲れと言って良いかもしれない。

事の始まりは、バイトの前後に半泣きで教科書と格闘する陽菜子に、ちょっとした助言をしたことだった。
詰まっていた部分が理解できると、彼女は目を輝かせて祥に礼をいってきた。
その後、陽菜子は解いていた問題に煮詰まると、祥に尋ねるということが続き、いつの間にかバイトの後に勉強会をするのが決まりごととなっていた。

人と関わるのはあまり好きではなかったのに、不思議と、面倒だとか、嫌だとか思うことはなかった。
ただ、今まで祥に何かを聞いてくる人間などいなかったから、ひたすら戸惑っていたという感じだ。
それに、今回のことで、人に何かを教えるというのは、実は大変難しいということを初めて知った。
そんなことを取り留めなく考えていると、ソファーの方から小さな唸り声が聞こえてきた。

ソファーで寝息を立てていた陽菜子が、身動ぎをしつつ顔を顰めている。
小柄な身体の上に、厚めの敷物がかけられているのだから、それは当然寝苦しいだろう。
祥は彼女に近付くと敷物を外し、店長から受け取った毛布をそっとかけてやった。

敷物を売り場に戻してから、ついでに一冊文庫本を拝借する。
そのまま、陽菜子達が眠るソファーの後ろに回り、窓辺に置かれた木製の椅子に腰掛けた。
最近は肌寒い日も増えてきたが、今日は風もなく日向はそれなりに暖かい。
窓の外では、近所の三毛猫が欠伸をしながら、ゆらゆらと尻尾を揺らしている。

すー、すー。
くうくう。
すぴよすぴよ。
ぷーぷー、ぷすっ。
ぐおー、がおー。
むにゃむにゃ。

それぞれの寝息が、静かな店内に響き渡っていた。
思わず笑みを浮かべた祥は、その賑やかな音楽に耳を傾けつつ、本のページをめくる。
風変わりな音楽祭は、陽菜子が慌てて飛び起きる夕暮れ時まで、途切れることなく続いていた。




 
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