「奴隷、だぁ?」
不機嫌を隠しもしない表情で、男は低い唸り声を上げた。
日の光を反射する眩い金糸に、船上にあるにしては抜けるような白い肌。
それだけ見ればまるで人形のようにお綺麗なのに、眇められた蒼い瞳だけがぎらぎらと苛立ちで燃えている。
片方は無骨な眼帯で覆われていたが、その黒い布地がなければ、同じように剣呑な光を放っていたことだろう。
形の良い眉の間にはくっきりと皺がより、今にも舌打ちをしそうな雰囲気だ。
というか、実際にした。
アレクシス達の船は、所謂海賊船というものである。
商船を狙って襲撃することもあれば、金品と引き換えに船の護衛や商品の運搬を請け負うこともあった。
今回狙った獲物は、フィスタリア帝国の御旗を掲げた商船で、なかなか規模も大きく期待以上の品を手に入れることができたのだ。
久しぶりの上等な獲物で良い気分だったというのに、先ほどまでの興奮が一気に冷めた。
フィスタリア帝国の主要な貿易品は、金や銀、香辛料や絹である。
中には奴隷貿易で利益を得ている国もあるが、その奴隷制度に反対する国の筆頭がかの帝国だ。
よもやそんな国の船に、奴隷が積まれているなど予想だにしていなかった。
アレクシスはそれなりにあくどいことをしてきたが、これまで一度も奴隷関連の仕事を請け負ったことはない。
なにも、信念だとかそういった高尚なことではなく、ただただ面倒だからというのがその理由だ。
まず第一に、奴隷を運ぶには維持費がかかる。
生き物であるからには、飯を食わさねば弱るし、不潔にしていれば病を患う。
劣悪な環境で商品を運ぶ奴隷船もあるらしいが、多くの奴隷は目的地に着く前に命を落とした。
どれだけ奴隷を確保してきても、売る商品がないのではどうしようもない。
そして何より、彼らは金銀財宝と違って自らの意思を持つのだ。
奴隷達に反乱を起こされた奴隷船の話を聞くたび、アレクシスは愚かだと嘲笑った。
危険と手間をかけて奴隷を運ぶくらいなら、手に入れた財宝を高く売りさばく方が遥かに気が楽だ。
そんな訳で、アレクシスは今までどれだけ金を積まれようと、奴隷船に関わることは避けてきた。
だと言うのに、ここにきて奴隷を自らの船に乗せることになろうとは青天の霹靂だ。
(ちくしょう、あの船、帝国商船と偽ってやがったな)
今や多くの国を従えるフィスタリア帝国なれば、検問の目も甘くなる。
そうやって、あの船は密かに奴隷を運んでいたのだろう。
随分と舐めた真似をしてくれたものだ。
アレクシスは、八つ当たりも兼ねて目の前の部下をじろりと睨み付ける。
さすが見習い時代から共に死線を潜り抜けてきただけあって、彼の人を射殺せそうな剣呑な視線を受けつつも部下はどこ吹く風だ。
さらに、彼はしれっとした顔で腹立たしい情報を付け加えた。
「しかも、どうやらその奴隷、まだガキみたいって話だ」
「あぁ?」
びしりとこめかみに青筋が浮き、これ以上無いほどにアレクシスの機嫌が急降下する。
奴隷というだけで面倒なのに、さらに子供となれば碌な労働力にすらならない穀潰しではないか。
(いっそ海に捨てるか)
凶悪な面で不穏なことを考えるアレクシスの肩に、部下、もといボルトが片手を乗せる。
「まぁ、一度見に行ってみようぜ、船長」
明らかに面白がっているボルトは、にやにやと気持ち悪い笑顔を浮かべている。
そのムカつく面に、一発お見舞いしてやりたい気持ちを抑え、アレクシスは肩に置かれた手を叩き落とした。
**********
二人が甲板に出ると、商船から略奪した金品の山の前に、既にこんもりと人だかりができていた。
その一番外側にいた人物は、振り返ってアレクシス達の姿を認めると意外そうに目を丸める。
「おや、貴方がたもいらっしゃったんですか?」
「来たくて来たわけじゃねぇ」
「やっほー、ロー! お疲れさん」
苦虫を噛み潰したようなアレクシスとは対照的に、ボルトは何が楽しいのかぶんぶんと手を振っている。
大声で呼ばわれた青年は、やたらと上機嫌な彼の様子に肩を竦めると、再び視線を人だかりの方へと移す。
すらりとした細身のこの男は、アレクシスの船で船医のような役割を担っている。
ある港町に停泊した際、自分は医学を齧っているから船団の役に立つ筈だと自らを売り込んできたのだ。
屈強な海賊達の中では苦労するだろうと思っていたが、意外や意外、多くの船員はローに頭が上がらない。
なにせ彼の機嫌を損ねたが最後、治療の際に手痛い仕返しを受けることになるからだ。
言葉遣いは丁寧だが、奴はわりとえげつないことをする。
そんな彼は、どうも良い家の出であるようだが、己の事を深く語ったことはない。
船員との仲も悪くないが、どこか線を引いている様なところもある。
ローという名も、恐らくは偽名なのだろう。
だが、アレクシスにとって、彼が何を考えているのか、出身がどうであるかは問題ではない。
船上で重要なのは、仲間を裏切らず、船の役に立つ人間であるか否かということだけだ。
その点で、彼は十分にこの海賊団の役に立っていた。
考え込むように顎に片手を当てているローを一瞥してから、アレクシスは人だかりへと目を向ける。
ボルトの声を聞いた船員が、アレクシス達のためにと道を開けていた。
ばらけた人垣の向こうに、甲板に横たわる小柄な影が見える。
影は蹲ったまま、ぴくりとも動かない。
その横に、何とか人が一人入れるだろう大きさの木箱が開け放たれているところを見ると、あの中に件の奴隷は入れられていたのだろう。
「死んでんのか?」
「いいえ、生きておりますとも」
即座に返った返答に、アレクシスは深い溜め息を吐いた。
むしろ死んでくれていた方が楽だったのに、誠に残念なことである。
小さく舌打ちをするアレクシスを無視して、ローは見分した子供の様子を口にした。
「やや栄養失調ぎみかもしれませんが、呼吸も脈も正常。ただ……」
「ただ?」
顔に似合わずはっきりとものを言う男にしては、随分と先を言いよどんでいる。
アレクシスの肩に手を置いたまま、ボルトがオウム返しに聞きながら小首を傾げた。
ローは難しい顔を崩さず、小さく息を吐いてから先を続ける。
「これだけ周囲が騒がしいのに全く起きる気配がないというのもおかしな話です。恐らく、運ばれている間に何らかの薬を投薬されていたと考えて間違いないでしょう」
「えー、それはちょっと面倒臭いかも……」
ローの言葉に、ボルトは顔を歪めて癖の強い赤髪をがしがしと掻いた。
アレクシスとしても同意見で、ますます眉間の縦皺が深くなる。
麻薬や麻酔薬等を使用していた場合、意識の覚醒した時や薬の離脱症状が現れた時に暴れだす人間もいる。
いくら子供とはいえ、加減もなく暴れられては迷惑この上ない。
苦虫を噛み潰したような表情で子供を睨み付けていたアレクシスだが、隣からローに呼び掛けられそちらに視線を向ける。
「ところで、思うんですけど、あの子、もしかして夜の民なのではないですか?」
「夜の民?」
突然の彼の言葉に、アレクシスは怪訝な表情を浮かべる。
そのやり取りに、仏頂面で唇を尖らせていたボルトが、急に嬉々として割り込んできた。
「え、なに、アレクシス、夜の民知らないの? 夜の民はねぇ、独自の文化を持つ少数民族で……」
「んなことぐらい知ってるっつーの。お前、俺を馬鹿にしてんのか?」
ひくりと引き攣った笑みを浮かべ、アレクシスはボルトの胸ぐらを掴む。
昔からこの男は、自分をからかうことを楽しみにしている節があるのだ。
一度といわず四度くらい絞め殺してやりたいが、アレクシスは深々と息を吐いてどうにか怒りを抑える。
ボルトの首を締め上げていた手を渋々放すと、彼は「アレクシスこわーい」と大げさに震えて見せた。
ふざけた男を意識的に視界から排除して、アレクシスは夜の民について考えを巡らす。
夜の民とは、黒い髪、黒い瞳を持つ民族で、数百年前のフィスタリア帝国(当時はまだ王国であったが)との大戦で、敗北を機にその数を減らしていた。
そんな中、北の地へ逃げ延びた一部の民は、同族以外との関わりを絶ち、独自の文化を築き上げていったのだ。
彼らの造る独特な工芸品や織物は、滅多に市場には出回らないものの、非常に高値で取引されている。
さらに近年では、闇市場で密かに“夜の民”自体が売買されているという。
向こうに転がる子供も、そういった商品の内の一つだということだろうか。
「何であのガキがそうだと思う。黒髪だからか? だが、そんなの理由にならないぞ。珍しいとはいえ、黒髪の人間は世界中にいるんだからな」
現に、己の横に立つロー自身の髪も、やや茶が混じってはいるが黒髪と言って差し支えない。
髪の色だけで夜の民と断定するのはあまりにも早計だ。
アレクシスの問いに、ローは僅かに首を振って答えを返す。
「そこまで確信のある話じゃありません。ただ、我々と少し顔立ちが異なることと、わざわざ帝国商船に偽装してまで、たった一人の奴隷を運んでいたことを考えると、そうするだけの価値があの子にあるということになります」
彼の意見を聞きながら、アレクシスは子供へと視線を移す。
もし、仮に、あれが夜の民なら、それなりの高値で売れるだろう。
夜の民は、愛好家にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。
子供とはいっても、下手な宝飾品よりよほど価値がある。
あの子供が夜の民であるか否かを見極める方法はただ一つ。
瞳の色を確認すれば良い。
この広い世界の中でも、黒の瞳を持つものは夜の民だけだからだ。
「あれを起こすにはどうすりゃあ良い」
「痛みか、それに準ずる刺激を与えれば目覚めると思います」
「よし、叩き起こせ」
船長命令に、近くにいた船員は即座に対応する。
傍に転がっていたバケツで海水を汲んでから、勢いよく子供の頭にそれをかけた。
びくりと体を震わせた後、ひゅっと子供の喉が鳴り、次いで身を丸めてごほごほと咳き込む。
それと同時に、思っていたよりもずっと低い、苦痛交じりの呻き声が子供の喉奥から漏れた。
小柄な体躯から子供だとばかり思っていたが、意外と年がいっているのかもしれない。
大量の海水をぶちまけた船員は、バケツを投げ捨てると無造作に黒髪を掴んで奴隷の顔を上げさせた。
『……ぐっ……うっ……』
盛大に咽たせいか、猿轡の端から飲み込み切れなかった唾液が一筋零れている。
ゆっくりと開かれた眼は、紛ごうことなく夜の色。
その茫洋とした闇のような瞳が、アレクシスの視線と交わった気がした。
刹那、ぞくりと背筋を這い上がった妙な感覚に、彼は無意識の内に息を呑んだ。
周りの音が聞こえなくなったように、自分の鼓動だけが煩く耳の奥で響いている。
まるで、アレクシスの周囲だけ時間が止まっているようだった。
「やはり夜の民で間違いないようですね」
「だってさ、どうすんの? アレクシス」
ローが溜め息交じりに出した結論に、ボルトは軽く肩を竦めた。
再び意識を失った奴隷を一瞥しつつ、先ほどから妙に静かなアレクシスへと声をかける。
返答がないことを不審に思い隣を見やると、顰め面が通常運転である彼にしては珍しく、ぼんやりとしたままじっと奴隷を見つめていた。
「アレクシス? おーい、どうした?」
顔を覗き込むようにして名を呼ぶと、アレクシスはハッとした風に肩を震わせる。
その常ならぬ彼の様子に、ボルトは驚いて目を見開いた。
「……何でもねぇ」
アレクシスは一瞬気まずそうに表情を歪め、ふいと顔を逸らす。
しかし、その直後にはいつもの彼らしく、尊大な口調で声を張り上げた。
「取りあえず、その奴隷野郎は倉庫にぶち込んでおけ。他の戦利品は陸地に着いたら山分けだ。全員、急いで配置へ戻れ!」
野太い船員たちの雄たけびを聞きながら、荷物のように抱えられる奴隷を一瞥して、アレクシスは甲板を後にする。
ボルトを放置してきてしまったが、そんなことは知ったことではない。
訳の分からない焦燥感に、アレクシスは盛大に舌打ちをした。
暫くの間、忌々しいことに、彼の脳裏ではあの夜色の瞳がチラついて離れることはなかった。