リオは甲板に駆け戻ってくると、意気込んだ様子で、今晩の夕食を共にしないかと葵を誘ってきた。
普段、葵は部屋に運ばれてきた夕食を一人で食べている。
鎖で繋がれた状態では、部屋を出て食堂へ行くことも儘ならないのだから、当然と言えば当然のことだろう。
ごくたまに、ローとの勉強会が長引いた時などは、彼が運んでくれた軽食を共にしたことはあったが、それも片手で数える程である。

 里にいた頃は、里全体が一つの家族のようなものだったから、食事時などそれはそれは賑やかであった。
夕暮れ時になれば、誰かしらの家に近所の者達が惣菜一品と酒を片手に集まり、即席の宴会が始まるのだ。
大人達は旨い肴をつまみながら酒を酌み交わし、子供達は座敷や庭で歓声を上げて遊び回る。
葵自身は盛り上げる役回りではないものの、共に笑い合う時間は心和む一時であった。

 食事と言えばそんな風であったから、無音の中で食器の擦れ合う音だけを共にする事を、葵は味気なく感じていたのだ。
だから、リオの提案は心から嬉しく、深く考えることもせずに二つ返事で了承を返した。




**********




 部屋に戻ってから、葵は簡単に部屋の片付けを始める。
それほど広い部屋ではないし、元々散らかる程の持ち物もない。
短時間で掃除を終えた葵は、夕食までの間を読書にあてることにして、読みかけの本を開いた。

 暫く経った頃、控えめに扉を叩く音が聞こえ、葵は俯けていた顔を上げる。
窓の方に視線を向ければ、いつの間にやら外はとっぷりと暗闇に飲まれていた。
どうやら、思っていたよりも、自分は読書に夢中になっていたらしい。

 慌てて返事を返すと、扉を開けて入ってきたのはローとボルトだった。
其々の両脇には、何やら大きな木の板のようなものがかかえられている。

「よぉ、邪魔するぞ」
「こんばんは、ローさん、ボルトさん。それは、何ですか?」
「こんばんは、葵。これは、簡易テーブルと椅子ですよ」

 葵の疑問に答えながら、ローはボルトに指示を出して、部屋に備え付けられていた小ぶりな机を端に寄せた。
そうして、空いた場所に木の板を置くと、それを開いて見せる。
組み立てて見れば、木の板に見えたものはまごうことなく机であり、葵は驚きも顕にローの手元を覗き込む。
最後に、元々部屋にあった机と隣り合わせで並べれば、一卓の大きな机に変わった。

「これで、それなりの数の食器も乗せられるでしょう」
「あ……、ありがとうございます」

 笑みを浮かべながらのローの言葉に、彼がリオとの夕食のために準備してくれたことがわかり、葵は慌てて礼を言った。
そうしてもう一度机を一瞥してから、おやと首を傾げた。

 机の前に並べられた椅子は、部屋にあった椅子と合わせて三脚置かれている。
リオと葵が座るにしては多いし、ローとボルトが加わるにしては一脚分少ない。
もしかしたら、場所が狭いため、四脚は置けないということだろうか。

 それならば、自分はベッドを椅子変わりにしようかと考えていると、俄に扉の外が騒がしくなる。
十中八九、リオが部屋の近くまでやって来たのだろう。
その分かりやすさに苦笑を漏らしてから、葵は彼を出迎えるために入口へ向き直った。
間もなくして、予想通り何やら話しているリオの声が聞こえ、次いで勢い良く扉が開かれる。

「だって、昼間に聞いた時に、良いって言ったじゃないか!」

 扉を開けた途端、憤慨した様子で入ってきたリオに、葵は不思議に思いながら首を傾げる。

「こんばんは、リオく……」

 取り敢えず声を掛けようと口を開いた葵であったが、続いて入ってきた人物を目にした瞬間、思わず息を止めた。
リオに手を引かれるようにして現れたのは、誰であろうあの金髪の男であった。
その眉間には、彼の機嫌を現すようにくっきりと縦皺が刻まれている。

「何度も言うが、俺は、お前が一緒に飯を食いたいって言ったから返事をしたんだ。こんな話は聞いてない」
「他にもメンバーが居るけど良いかって聞いた時、何にも言わなかったじゃないか」
「そういう言い方をされて、いつもの奴らを想像すんのは当たり前だろうが。大体な……」

 リオと言い争っていた男だったが、不意に顔を上げた瞬間に視線が重なる。
無意識の内に息を飲み、両手を握り締めた葵であったが、男はやがてふいと視線を外した。

「とにかく、俺は帰る。後はお前らで好きにしろ」
「ちょと、待ってよ! アレクシス!」

 やんわりとリオの腕を振り払った男は、そのまま踵を返して部屋を出ていこうとする。
泣きそうな表情で背中にすがり付くリオを無視して、男が扉の取っ手に手を掛けた時、今まで傍観を決め込んでいたローが静かに口を開いた。

「“一度誓った約束は違えない、海の男に二言はない”、が我らキラーホエールの信念でしたよね」
「……あぁ?」

 伸ばしていた手をピタリと止めて、男は振り返りながらローを睨み付けた。

「まさか、船長自ら掟を破るとは言いませんよね?」

 にこりと微笑むローに、男の眉間に刻まれた皺がますます深くなる。
上体を起こした彼は、這うような声でローに凄んだ。

「おかしいとは思っていたんだ。リオがあんな姑息な方法を取るわけがないってな。ロー、お前、リオに何か吹き込みやがったな?」
「まさか。私はただ、リオからあなたを食事に誘う方法を相談されたので、親身にアドバイスをしたまでですよ」
「……何がアドバイスだ、この狸が」

 忌々しそうに吐き捨てる男にも、ローは涼しい顔で返す。
これ以上彼と言い合っても埒が明かないと判断した男は、ローの隣で明後日の方を向いていたボルトへ狙いを定めた。

「おい、ボルト。お前、こうなることを知っときながら、何で俺に言わなかった」

 男の機嫌が最低であることを察し、更には隣からは冷やかな圧力がかけられ、ボルトは盛大に顔を引き攣らせた。
果たして、自分は無事にこの部屋から出られるのだろうか、などと考えながら言い訳を口にする。

「あのね、俺は今、ローに一つ借りがあるの。逆らえるわけないでしょ!」
「てめぇ、覚えとけよ。今度こそ、その頭に風穴開けて涼しくしてやるからな」
「ちょ、何で俺だけ! 差別だ!!」

 ぎすぎすした雰囲気の中、リオはぐいと掴んでいた男の服を引っ張り、真っ直ぐに視線を上げた。

「俺、ちゃんと言われた通り勉強して、部屋も綺麗に片付けたんだ。だから、お願いだよ、アレクシス。俺との約束守って!」
「……あぁ、クソっ!」

 後ろ頭をがりがりと掻きむしりながら盛大に舌打ちをすると、男は乱暴に足を踏み鳴らして机に近づく。
机の前に置かれていた一番端の椅子の前に立つと、その脚に片足を掛けてそれを引き出す。
両手を組んでどかりと椅子に腰を下ろし、男は憮然とした様子でそっぽを向いた。

「飯を食い終わったら、何と言われようと出ていくからな」
「……うん、ありがとう、アレクシス」

 パッと顔を輝かせたリオであったが、すぐに不安げな表情を浮かべると葵の方に駆けてくる。
どうすれば良いのか分からず、黙って事の成り行きを見守っていた葵は、困惑した顔で近寄ってきたリオを見下ろした。
葵の前に立ったリオは、一瞬躊躇ってから葵の手を取り、ぎゅっと握りしめる。

「勝手にごめんなさい、葵。でも、俺、どうしでも二人に、お互いの事を知って欲しかったんだ。俺は、葵のことも、アレクシスのことも知っていて、二人とも大好きで、だから、だから……」
「リオの思いも分からないではないですが、嫌なら断っても良いのですよ。あなたにはその権利があります」

 リオに続いてそう言いながら、ローは葵の腕にすがり付くかのような勢いである彼に苦笑を漏らした。
腕を組んでそっぽを向いていた男だったが、その言葉に片眉を跳ね上げると、じろりとローを睨み付ける。

「おい、随分と扱いが違うじゃねぇか」
「葵は閉じ込められたり、鎖に繋がれたり、嫌なことされてる側なんだから、気遣って当然でしょ!」

 ローよりも先に、憤慨した様子で苦言を述べるリオに、男は小さく舌打ちして顔を背けた。
不満げに頬を膨らませてみせてから、リオは再び目の前の葵を見上げた。

「葵がどうしても嫌って言うなら諦める。でも、一度だけで良いんだ。一度だけ、チャンスをちょうだい」

 困惑を顔に張り付けたまま、葵は必死に頼み込んでくるリオを見つめた。
正直に言うならば、断れるものなら断りたい。

 いくら少し男に興味がわいたとは言え、一端嫌悪を覚えた対象をそう易々と受け入れられるものではない。
気まずい雰囲気で男と食卓に並ぶくらいなら、一人寂しく夕食をとった方が何倍もましだ。

 しかし、これほど必死にすがってくる小さな友人の願いを無碍にするのは酷く心が痛み、暫く思い悩んだ葵は迷いながらも頷いた。

「……では、いちどだけ、なら」
「本当に!? ありがとう、葵!」

 葵の答に、リオはパッと顔を輝かせる。
嬉しそうに葵の手を引くと、自分が男の隣に腰掛け、その横の椅子に葵を座らせた。

「では、話が纏まったようなので、私達は料理を運んでくるとしましょう。ボルト、あなたも手伝って下さい」

 静かに成り行きを見守っていたローは、笑みを浮かべながら隣に佇んでいたボルトの背を押す。

「はっ? ちょ……、何で俺が……」
「おや、おかしな事を言う。昨日私が聞いたあなたの言葉は、偽りだったのですか?」
「いいえ、もちろん、喜んでお手伝いさせていただきます、sir」

 不服を訴えたボルトであったが、笑顔のまま小首を傾げるローに、さっと顔を蒼褪めさせる。
背筋を伸ばして承諾の意を返すと、雑用をこなすためにすごすごと退散していった。
ボルトが出ていったのを確認してから、ローはアレクシスへと視線を向ける。
彼は斜め向きな機嫌そのままに、じろりとローを睨み上げた。

「……何か用かよ」
「いえね。これは、あなたにとっても、良い機会だと思いまして」

 含みを持たせたローの言葉に、アレクシスは皮肉げに鼻で笑う。

「はっ、残念ながら、俺は察しが悪くてな。お前が何を言いたいのか、さっぱり分からねぇ」
「いいえ、あなたも、本当は気付いているはずです。これを機に、今一度、己の心と向き合ってはどうですか?」

 ぴくりと眉を動かしたアレクシスに、ローはそう言い置いて踵を返す。
彼の返事を待つことなく扉を開けると、そのまま振り返らずに部屋を出ていった。




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